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吉永小百合「いつでも夢を」大竹しのぶ「あゝ野麦峠」は感染症映画だった! コロナの今だから映画で励まされたい(2)

   新型コロナウイルスの感染拡大の終息がいっこうに見えないなか、私たちの戦いが続いているが、考えてみれば、人間の歴史は感染症との戦いの歴史でもあった。

   映画の世界でも感染症を取り上げた作品が非常に多い。昭和の青春映画のイメージが強い吉永小百合主演の「いつでも夢を」(1963年公開)、女工哀史の悲惨な労働者の実態を描いた大竹しのぶ主演の「あゝ野麦峠」(1979年)なども、じつは感染症対策がテーマの映画だったという。

   そんな日本映画の名作の数々からみた日本人の感染症との戦いの歴史を振り返るリポートがまとまった。ニッセイ基礎研究所の主任研究員、三原岳さんが2020年10月2日に発表した「映画で考える日本の歴史と感染症 結核との長い闘い、保健婦の活躍を中心に」だ。J‐CASTニュース 会社ウォッチ編集部では、三原岳さんに話を聞いた。

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感染症との戦いを地方から支えてきた「保健婦」

「明日は咲こう花咲こう」(AmazonDVDより)
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   三原岳さんのもう一つのオススメである「明日は咲こう花咲こう」(1965年)は、「公衆衛生意識の向上」を広める活動をとおして、感染症との戦いを最前線の地方から支えてきた「保健婦」(保健師)の活躍を描いている。

   ヒロインの小日山ひろ子(吉永小百合)は山梨県の山村で働く保健婦。東京で研修を受けた後、恋人の新聞記者(中尾彬)の制止を振り切り、姫虎村という山村に単身で飛び込む。しかし、上水道が整備されていないなど村の衛生状態は悪い。

   ひろ子は、

「沢で食器を洗ったり、お米を研いだりするのは衛生上、よくありません」

と農家の女性に指導したり、村役場の幹部に掛け合って飲料水と洗濯の区域分けに取り組んだりするが、なかなか村民の理解を得られない。さらに地域の面倒な政争に巻き込まれたほか、結核の子どもを隔離したことが村民の反発を招き、疲弊してしまう。

   そんななか、村で集団赤痢が発生するが、政争に明け暮れる村役場の幹部は赤痢ではないと言い張るだけでなく、邪魔者のひろ子を追い落としにかかるのだった......。

   三原さんは語る。

「こうした草の根で公衆衛生を支える保健婦の存在は、決して珍しくなく、いくつかの映画で取り上げられています。たとえば、炭鉱での生活を取り上げた『にあんちゃん』(1959年)という映画では、新人保健婦(吉行和子)が登場します。『孤島の太陽』(1968年)では高知県の離島で働く保健婦・初子(樫山文枝)や、県職員として初子の指導に当たる保健婦(芦川いづみ)が登場します。いずれも実話を基にした映画で、なかでも『孤島の太陽』は高知県が市町村に保健婦を派遣していた『駐在保健婦』という制度をベースにしているのです」

   いずれのストーリーも

(1)若い新人保健婦が僻地に赴任。
(2)「飲み水に気をつけろ」などの公衆衛生の指導に住民が大反発。
(3)赤痢などの急性感染症が発生し、保健婦が大活躍。
(4)保健婦が住民の支持と信頼を獲得。

という共通点を持っており、それだけ保健婦が身近な存在だったことを示しているという。

『あゝ野麦峠』に凝縮されている感染症対策と社会保障

「あゝ野麦峠」(AmazonDVDより)
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   さて現在、感染症といえば新型コロナウイルスやエボラ出血熱などが脅威とされているが、1950年代に特効薬が普及するまでの間、日本人の死因の上位にランクインされて感染症がある。「国民病」と呼ばれた結核だ(編集部注・結核菌によって発症)。結核こそが昭和30年代まで一番の脅威になっており、多くの映画に取り上げられた。

   三原岳さんによると、女工哀史映画の傑作「あゝ野麦峠」(1979)は、「結核対策映画」でもあるという。三原さんは、こう指摘する。

「新型コロナ対策で最前線を担った保健所は、もともと結核対策を想定して 1937 年(昭和12年)に創設されました。さらに 1927年(昭和2年)施行の健康保険法も『女工』と呼ばれた女性労働者の結核対策という側面を持っており、女工の健康問題は『あゝ野麦峠』に詳しく描写されています」

   今日、われわれが恩恵をこうむっている保健所や健康保険制度は、そもそも女工を結核から守るために創設されたというのだ。

   「あゝ野麦峠」の舞台は20世紀初頭。「野麦峠」は岐阜県と長野県の境に位置する地名で、ヒロインの政井みね(大竹しのぶ)は13歳の少女だ。みねの実家は父母と2 人の兄に加え、まだ小さい4人の弟妹を抱えており、みねは苦しい家計を助けるため、岐阜県飛騨地方の寒村から長野県岡谷市の製糸工場に行く。

   みねの仕事は、繭を煮て生糸を取る「糸取り」という作業。労働は「過酷」という言葉では形容できないレベルだった。朝4時半に起床、洗顔、トイレを慌ただしく済ませた後に朝の労働。7時に朝食を10分で摂り、また労働。昼食も立ち食いで10分、再び夕方まで労働。12時間以上働いた。職場環境は劣悪で、気温40度に達する工場は締め切られており、日光も風も入らない蒸し風呂状態。結核菌が繁殖するには絶好の条件だった。

   結局、みねは結核に感染する。しかし十分に医療を受けられず、隔離小屋で寝かされた後、工場を訪れた兄の辰次郎(地井武男)に背負われ、郷里の飛騨に戻るところで映画はクライマックスを迎える。

   映画のこうしたシーンは相当、当時の様子を反映しており、工場の実態を取材した原作の「女工哀史」(細井和喜蔵、1925年・大正14年刊)や、農商務省(現経済産業省)が取りまとめた報告書「職工事情」(1903年・明治36年刊)でも同様の実態が紹介されているという。そこで、劣悪な環境を改善するため、政府は1916年(大正5年)、女性労働者の就業時間を制限する工場法を施行した。これは社会保障立法の始まりの一つとされ、1927年(昭和2年)施行の健康保険法など労働安全法制の源泉となった。

   つまり、『あゝ野麦峠』は日本の感染症(結核)対策と社会保障制度の歴史が凝縮された映画というわけだ。

「いつでも夢を」に残る結核患者への差別

「いつでも夢を」(AmazonDVDより)
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   同じく感染症(結核)対策を描いた青春映画に、吉永小百合主演の『いつでも夢を』(1963年)がある。ここでは、結核対策がさらに進んで、患者の隔離が実施される姿が描かれる。具体的には、結核病床が整備されたほか、空気がきれいな地域に「サナトリウム」という療養所が置かれたのだ。

   舞台は高度成長期の東京の下町。定時制高校に通う三原ひかる(吉永小百合)、木村勝利(浜田光夫)、 松本秋子(松原智恵子)の青春物語を取り上げている。療養所は後半に登場する。秋子が結核で高校中退を余儀なくされ、ひかるが秋子を見舞うため、「武蔵野療養所」を訪ねる。その時、ひかるに秋子はこう語るのだった。

「この病棟だと、随分と軽症なほうなのよ。喀血してもね、病棟が新しいから、回復率が早いんですって。このまま順調に行けば、1年ぐらいで帰れるだろうって、先生がおっしゃったわ」

   三原岳さんは、こう指摘する。

「ここのシーンのポイントは『病棟』『1年ぐらいで帰れる』という部分です。この時点で結核の特効薬が開発され、結核で亡くなる人が少なくなっていた半面、結核患者を受け入れる病床(病棟)の整備が問題となっていました。さらに、『1年ぐらいで帰れる』というシーンでは、社会復帰支援が課題になっていたことが表れています」

   まだまだ、結核患者に対する、長年の恐怖からくる偏見が残っていたのだ。偏見と差別といえば、三原さんは最後にこう強調した。

「現在、新型コロナウイルスの陽性者に対する差別の問題が起きていますが、『感染列島』でも同じ問題が取り上げられています。当初、鳥インフルエンザが感染源として疑われたため、たまたま鳥インフルを発生させた養鶏場の経営者(光石研)の家に石が投げられたり、娘が学校でいじめられたりしたあげく、経営者が首を吊って自殺する場面があるのです。映画のようなシーンが現実に起こっていることが非常に残念です。ぜひ映画も見て、差別のことを考えてほしいと思います」

(福田和郎)