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東日本大震災から10年 改めて「その時」を思い起こしてみると......【ひろ子ママの教訓 その45】

   きょうは50代前半のSさんがいらっしゃっています。東日本大震災から10年経ったところですが、何か思い起こすことや学んだことはありますか?

   今回はSさんにお話を聞いていきたいと思います。

  • 東日本大震災から10年(写真は、「奇跡の一本松」)
    東日本大震災から10年(写真は、「奇跡の一本松」)
  • 東日本大震災から10年(写真は、「奇跡の一本松」)

開いているコンビニに「日本って、すごいなぁ」

「もう10年経ったんですね。ふだんは意識から正直薄れてきていますが、この時期になると思い出しますね。私は当時、東京のビルの15階で働いていましたが、これまでにない揺れを感じました。その時、子供は小学生。真っ先に頭によぎったのは、子供のことでした」

◆ 「お迎え」の助け合い行動

「子供の安全が気にはなったものの、すぐに職場から小学校まで駆けつけられる距離ではなかったので、結局は妻に任せることにしました。とは言え、なかなかケータイが繋がらず、繋がった時は『ほっと』しましたね。妻は自宅の最寄り駅から5駅離れたところで働いていて、小学校には比較的近かったのですが、電車が止まっていたので歩いて向かってくれました。それでもふだん歩かない距離なので2時間くらいかかったそうです。近所のママ友が子供も一緒に家に連れて帰ってくれていて、おやつをご馳走になっていたそうです。妻への感謝やご近所の『助け合い』のありがたさを実感しましたね」

◆ 自宅まで歩いて帰った記憶

「会社には電車が再開するのを待って帰宅しようと考えて残っている人が複数名いました。金曜日の出来事だったので翌日の土曜日に、自宅まで歩いて帰ることにしました。
自宅までたどり着くのに5時間くらいかかったと思います。ビジネスシューズで歩くのはさすがに足が痛くなってきたので、町の靴屋さんのようなお店でジョギングシューズを購入。履き替えて帰りました。大変な時でもお店を開けてくださっていたことに感激したことを思い出しました。途中コンビニに寄りましたが、おにぎりや水はほとんどなかった記憶です。こんな時でもコンビニが開いていることも日本ってすごいなと思いましたね」

当たり前のことに「感謝」が生まれた

◆ 会社にジョギングシューズを常備していたことも

「震災の直後は、危機意識が高まりました。妻と一緒に子供のお迎えのこと、緊急連絡先や避難場所について、しっかりと話し合いをしましたね。備蓄や防災グッズも揃えたり、食器棚を壁と固定したり、いざという時のために会社から自宅への帰宅経路もきちんと調べ直しました。数年間は地域の防災訓練にも積極的に参加していましたね。
会社のロッカーにもしもの時に備えて、ジョギングシューズを常備していましたが、今はもう持ち帰っています。首都圏直下型地震が30年以内に起こる可能性があると言われていますが、自分の中でも防災に対しての意識がだいぶ薄れてきたと感じています。そして、そんなところに今回の新型コロナウイルスの感染拡大で再び意識が高まってきたところです」
ガッツポーズ

◆ 当たり前のことに「感謝」が生まれた

「震災が起こる前は、仕事ばかりに集中していて家庭は妻に任せっきりでした。それが当たり前だと思っていたんですね。震災によって、家族の大切さを改めて実感しました。『こうやって仕事できているのも家族のおかげなんだな』『食べ物、電車や電気、ガスなど当たり前に使っているものは誰かのおかげなんだな』っと。
未曾有の大震災で、日本全体が『頑張ろう』と復興に向けて、これまで動いてきたんだと思います。ただ、私も含めて、記憶が薄れてきていますし、やはりだんだん防災に対する意識も薄れてきています。コロナ禍で防災意識が高まったことは皮肉なことですが、これからも『3月11日』はいろんなことを思い出す、考える1日にしたいと思いますね」

   そうですよね。ホント、あの日のことを忘れてはいけないと思いますよ。私も......。(ひろ子ママ)