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成績の上がらない営業マンが理系の強みでIT化を推進 ベンチャー社長への道を拓いた【若手経営者インタビュー】

   株式会社フロッグ(東京都千代田区)は、人材サービスを展開する株式会社ゴーリストから分社化して、2021年1月5日に生まれた。新型コロナウイルスの感染拡大で労働市場や人材業界の環境が急変したことに合わせて小回りが効くようにしようと、また事業規模の拡大に伴い、従業員の可能性を引き出して、さらなる成長を促す機会を提供することを狙った。

   フロッグの初代社長に、菊池健生さん(34)が就任した。データ活用の巧拙や、情報を伝えるためのデザイン力を武器に、わが道を切り拓いてきた。その平坦でなかった道のりを聞いた。

  • 2021年1月5日、フロッグの誕生と同時に代表取締役に就任した菊池健生さん
    2021年1月5日、フロッグの誕生と同時に代表取締役に就任した菊池健生さん
  • 2021年1月5日、フロッグの誕生と同時に代表取締役に就任した菊池健生さん

「広告制作」で内定 リーマン・ショックで入社後は「営業」

   菊池健生さんは、大阪府堺市生まれ。2009年に大阪府立大学工学部を卒業して、東京都内に本社がある求人・転職情報サービスの会社に就職したのが、キャリアの始まり。大学院に進む選択肢はなかった。「社会に出て自分が通用するのかどうか試してみたい、という思いが強かった」と話す。

   大学の学園祭で「広告が持つ力」を体感したことがきっかけで、広告制作の仕事を希望していた。「1年目からバリバリやりたい。修業に10年かかるところは適当ではない」と、大手広告代理店ではなく、求人広告の制作担当を募集していた会社に応募し、2008年4月に内定をもらった。

   ところが、その年の9月にリーマン・ショックが起きた。入社前に会社から広告制作の業務は仕事が途絶えているので営業をやるよう連絡を受け、「内定のときと入社のときとはまったく違うテンションだった」。

   営業の仕事は、人材を募集している会社を見つけて、広告を出稿してもらうこと。1日に100件のテレフォンアポイントのほか、1週間に二十数件の訪問営業にも出かけた。始発で出社し、終電で帰宅する日もあった。80人の同期入社の中で成績はだいたい、いつも35、36番目。希望とは違う営業の仕事、長時間勤務......。それでもめげることはなかったという。

   しかし、同期はバラバラと辞めていき、2年目が終わるころには半分ほどがいなくなった。菊池さんの成績は後ろから数えたほうが早くなったが、「理系出身」が功を奏した。

   まだまだ電卓が手放せない時代。「理系でExcel(エクセル)や資料作成が得意だったので、見積もりを作るときなど、すごく重宝された。自分は営業成績が振るわないが、愛社精神はあるしガッツもある。ただ、なかなか成果が出ない......」。

   そんなタイミングの3年目に異動を命じられた。新しい部署は営業企画で、エクセルのスキルが生かせた。営業資料や売り上げ計画書を作り、行動を数値化してグラフにすることが仕事になった。

サポート役で「本領」を発揮し、MVP営業マンに

リーマン・ショックの影響で、想定していなかった「営業」での社会人スタートに
リーマン・ショックの影響で、想定していなかった「営業」での社会人スタートに

   営業担当者は月末になると目標達成のため、営業先にメールを送って交渉の余地があるかどうかを探る。返信があれば、具体的な商談に持ち込んで契約成立を図る。

   月末のたびに名刺を取り出してはメールを書いて発信するアナログな作業を繰り返す営業担当者をみて、菊池さんは「メールを送って売り上げになるなら、毎週やればいいのではないか」と助言したが、その手間から「毎週は無理」と、軽くあしらわれた。

   当時、メルマガ担当でもあった菊池さんは、それならメールアドレスを預けてくれれば、データベースを作って定期的に営業文書を自動送信すると進言。実行に移した。

   自動発信の営業メールに、ぼちぼち返信が届くようになり、これが新たな営業の仕組みに成長する。営業担当者らに、「この会社からは今月中には絶対に受注できない」という取引先の名刺を出してもらうと、ポツリと数件ほどの返信があった。

   ところが、返信を寄せた会社はどこも難攻不落とされていたところばかり。しかも、具体的に交渉が進むといずれも受注に成功。これが社内で大いに見直された。

   自信を持った菊池さんは、このシステムを使えば、営業の一人としても十分に会社に貢献できると考え、「メールを使った方法だけで、営業職一人分の成績を上げてみせる」と宣言する。「当時の役員には鼻で笑われたが、自分には算段があった。(社内で蓄積された)名刺の数と返信率、営業成功率などから計算して絶対イケますからとトライした」。

   3か月後、宣言どおりに目標の四半期売り上げで1500万円をクリア。この目標額は前期比の10倍だ。さすがに役員も見る目が変わり、いつのまにか心強い味方になった。

   次の四半期。自らを鼓舞する思いを込めて、目標は2倍の3000万円にハードルを上げた。「初めて認めてもらった」という思いの発露でもあった。そして、通期で1億円超の売り上げをたたき出し、年間MVPをゲットした。

もっと自分の力を試したい!

前職での「MVP」が飛躍の追い風に
前職での「MVP」が飛躍の追い風に

   入社4年目に、2011年創業のゴーリストとの取引が始まり、菊池さんが担当に就いた。

   ゴーリストは、ウェブ上の求人情報を独自のシステムを使って収集、分析した情報を提供するほか、求人情報を提供する会社や人材派遣会社などの取引先向けにUI(ユーザーインターフェース)やUX(ユーザーエクスペリエンス)の向上、つまり自社のウェブサイトの使い勝手を良くする手助けや新規のプロダクト開発などを、オウンドメディアを使って情報を提供している。菊池さんは、ゴーリストの業務の幅の広さや、先鋭的な技術に興味を持つようになった。

   その一方で、社内ではあまり振るわなかった転職サイトの編集長を託され、前年比20%減の売上高を、次の年に50%増に伸ばすなど腕をふるった。役職も「主任」「課長」へと昇進した。菊池さんは、「担当する売り上げが増えると同時にやりたいこと、発信したいことも増えていく。その一方で、自分一人が影響を与えられる範囲の狭さに痛感することが多かった」と話す。責任者としてふさわしい裁量を持ち、もっと自分の力を試したいと思うようになった。

   そうしたところへ、付き合いを深めたゴーリストの現社長、加藤龍さんが、菊池さんの企画力やマネジメント能力、統率力、行動力を買って、事業企画の担当としてスカウトしたのだ。30歳になろうかという時。大学を卒業してから、8年が経っていた。

「人材情報サービスでキャリアをスタートできてよかった」

オウンドメディア「HRog」編集長も兼任するフロッグの社長、菊池健生さん
オウンドメディア「HRog」編集長も兼任するフロッグの社長、菊池健生さん

   2017年10月、ゴーリストに入社。前職では課長職だったが、転職後は「ヒラ社員」。しかし、任された仕事は役員から引き継いだもので、「取引先から、『お一人で対応されるのですか』と不安そうにされることもあった」と、苦笑い。「そのリアクションがきつくて......」と冷や汗を重ねていたとき、「名刺で役員以外の肩書きは自由に使っていい」と言われていたことを思い出し、「事業企画室長」の名刺を持ち歩くようになった。

   一方、社内では事業企画の担当として、経営幹部で構成する毎月の経営会議に出席。「会議では当時の事業部長が話をするのですが、いつも『そこはこうしたほうがいいですよ』『それはそうじゃないほうがいいですよ』などと提案していた」と言う。

   しばらくすると、「じゃあ、お前が(責任者を)やれ、ということになって......」。入社半年後の2018年4月には、晴れて事業部長に就任した。

   菊池さんが手始めに取り掛かったのは、事務作業の合理化。領収書を1枚ずつ、またカード精算も1件ずつ確認して損益計算書(PL)をまとめて経営状況をつまびらかにした、新たなシステムを導入して顧客管理を整えた。その期待に違わぬ業務遂行能力の高さから、約1年後の19年3月にゴーリストの取締役に迎えられる。

   「ヒラ社員」から入社後1年半で役員に就いた菊池さんは、1年後には事業部の売り上げを前期比20%も伸ばした。さらにオウンドメディア「HRog」の編集長として、ゴーリストが扱うサービスへの問い合わせを倍増させる実績を上げた。

   このオウンドメディア「HRog」をゴーリストから切り離し、かつ人材業界向けのDX(デジタルトランスフォーメーション)推進のコンサルティングを事業化して立ち上げたのが、株式会社フロッグだ。

   働き方改革で、求人情報のデータは時代に不可欠。学生時代に思い描いていた仕事とは、やや異なるが、菊池さんは今、人材情報サービス業界でキャリアをスタートできたことを、よかったと考えている。

   菊池さんは、「これまでは、求人市場は放っておいても成長していくとみられていたが、コロナ禍で業界全体が変わり始めた」と指摘。データ活用の巧拙や情報を伝えるためのデザイン力がモノを言いそうだ、と手応えを感じている。