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【7月は応援! 五輪・パラリンピック】えっ、防衛庁が円谷幸吉の箱根駅伝出場に「待った」!?

   東京五輪・パラリンピックが2021年7月23日に開会式を迎える。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期され、いまなお世界各地で猛威を振るっている中での開催に、さまざまな議論が巻き起こっているが、アスリートの活躍には応援の声を届けたい。そう思っている人は少なくないだろう。

   そんなことで、7月はオリンピックとスポーツにまつわる本を紹介しよう。

   1896年の第1回アテネ大会は参加者241人中200人がギリシャ人。1位は「銀メダル」だった(金メダルの登場は第3回セントルイス大会から)。第2回パリ大会で女性が初参加し、第4回ロンドン大会でメートル法が採用され、第5回ストックホルム大会で初めて日本人が出場......。

   本書「増補改訂オリンピック全大会」は、近代オリンピックの歴史を振り返るとともに、出場した選手を切り口に物語を叙述している。オリンピックをおさらいするのに、ふさわしい本だ。

「増補改訂オリンピック全大会」(武田薫著)朝日新聞出版
  • 東京大会の開幕を静かに待つ新国立競技場(写真は、東京2020組織委員会のホームページより)
    東京大会の開幕を静かに待つ新国立競技場(写真は、東京2020組織委員会のホームページより)
  • 東京大会の開幕を静かに待つ新国立競技場(写真は、東京2020組織委員会のホームページより)

円谷がもし箱根駅伝を走っていたら

   著者の武田薫さんは、1950年生まれのスポーツライター。報知新聞記者を経て、85年からフリーに。著書に「ロザ・モタ―ソウル五輪マラソンの女王」「ヒーローたちの報酬」「マラソンと日本人」などがある。2008年に刊行された「オリンピック全大会」は、第28回アテネ大会(2004年)までを収めた。増補改訂版となる本書は、その後の北京、ロンドン、リオデジャネイロの3大会を振り返り加筆したものだ。

   序のタイトルが「三つの『東京オリンピック』」となっている。1940年の中止になった東京大会、戦後の復興を世界に示した1964年の東京大会。「しかし、3度目の試みである2020年の招致には、前2回ほどの総意と主体性が見えてこない」と書いている。

   スポーツライターとしての目は、1964年東京大会のマラソンで銅メダルを獲得し、その後自死した円谷幸吉に向けられている。そして、「円谷がもし箱根駅伝を走っていたら」という仮説にこだわっている。円谷が自衛隊体育学校の所属だったことは、よく知られている。「そんなことは不可能だろう」と思ったら、そうでもないのだ。

   円谷は福島県の高校卒業後に自衛隊に入り、1962年に自衛隊体育学校一期生に選ばれて本格的トレーニングを始めた。また、オリンピック前年の63年に中央大学第二経済学部に入学した。当時の中大陸上部の合宿所は、埼玉県朝霞市にある体育学校に近い東京都練馬区にあった。「寮で机を並べて一緒に勉強もしましたよ」という当時の中大陸上部エースの話も紹介している。

「オリンピックまでは自衛隊埼玉で走り、その後は中大の部員として関東学生陸上競技連盟に登録を移すという当事者間の口約束があったらしい」

   しかし、その後防衛庁から「円谷は自衛隊の選手である」と横ヤリが入り、他大学からも注文が出て、紛糾。円谷の箱根駅伝参加の道は閉ざされた。

   自衛隊体育学校には陸上競技のスペシャリストがいたわけではなく、中大陸上部員になっていれば、「様々な選択肢も手に入れることができたはずだ」と推測している。

人力車夫を排除したマラソンの国内規定

   本編では、各大会のエピソードとともに、日本人選手の足跡を伝えている。NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でも紹介された、第5回ストックホルム大会での金栗四三選手の「悲劇」も。マラソンの25キロメートル地点で脱水症状を起こして気を失った。途中棄権し、競技場には戻らず、そのまま宿舎に送り届けられた。

   「日本人の粘りと闘志はどうしたッ。大和魂をどこへ捨てたッ」という随行役員に返す言葉もなかったという。ポルトガル代表選手は日射病で死亡。日本監督の大森兵蔵はその日に病に倒れ、快癒しないままその年の暮れに他界した。

   大会ごとの「ミニコラム」も面白い。第7回アントワープ大会の国内予選から、日本でもアマチュア資格が採用になった。人力車夫の脚力が強く、日本選手権のマラソンで1位から5位まで「車夫」だったこともあったそうだ。そのため、マラソンでは「脚力ヲ用ウルヲ業トサセルモノ」を排除する規定を設けた。その後のてんまつには苦笑いするしかない。

「車夫側は締め出しに抗議して団体を組織し、若い車夫を夜学に通わせて学生の資格を取得させる対抗策に出たという。2年後に、早稲田大学の河野一郎主将が箱根駅伝からの夜学生締め出しを提案し、彼らは第4回大会から出場できなくなった。車夫駅伝になりそうな気配だったためらしい」

作家が総動員された前回の東京大会

   さて、前回の東京大会はどう描かれているのだろうか。93か国から5151選手が参加。開会式のスタンドを7万3000人が埋めた。日本列島はオリンピック一色に染まった。テレビ中継もされたが、小林秀雄、松本清張、水上勉ら数多くの作家が新聞や雑誌に、オリンピックについて寄稿した。活字媒体がそれだけ多かったのだ。

   冒頭で触れた円谷の銅メダルについては、1位になった「アベベ・ベキラの前半のスピードについていくことができた」奇跡だった、と書いている。「ただ、国内のムードは『負け』だった」とも。

   次のメキシコ大会への期待が勝手にふくらんだが、「トレーニングについては誰も手を触れなかった」。

   また、東京大会の最大の衝撃は、柔道無差別級の日本敗北であり、「東京オリンピックは柔道とJUDOの分かれ道」だった、と見ている。

   コロナ禍で1年延期になり、一部の競技では無観客開催が検討されている2021年東京オリンピック。開会まで3週間となったが、いまだ盛り上がりに欠けるようだ。どんなドラマが繰り広げられるのか、期待したい。(渡辺淳悦)

「増補改訂オリンピック全大会」
武田薫著
朝日新聞出版
1980円(税込)