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巨星墜ち、昭和という時代の終焉を感じた日...あらためて問う!リーダーとはどうあるべきか?(大関暁夫)

   作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなりました。昭和を代表する、いやこのうえなく昭和な「昭和人」リーダーでした。SDGsの浸透やコロナ禍で急速にニューノーマルの進展が加速する流れの中での石原氏の訃報は、ひとつの時代の終焉を象徴するかのようで、同じ昭和の「戦後」を生きた一人としてある種の感慨をもって受け止めました。

  • 石原慎太郎氏の訃報に寄せて
    石原慎太郎氏の訃報に寄せて
  • 石原慎太郎氏の訃報に寄せて

昭和を駆け抜けた経営者たちとの共通点

   このうえなく昭和な「昭和人」と申し上げたのは、何より氏のキャリア形成にあります。学生時代に作家として文壇デビューし、芥川賞作家という肩書を礎に、さまざまな形で独自の言論を展開しつつ政界に打って出る、というあまりに美しい戦後日本的「出世」の構図がそこにありました。

   当時は知的エリートにのみ開かれた言論の世界での活躍を活用し、世襲というツテなしで政治の世界に登場するというある種の離れ技。戦後の日本において圧倒的に支持された氏の人気は、「国民的人気俳優の兄」という側面もあったでしょうが、それ以上に昭和の「ジャパニーズドリーム」を体現したそのキャリアにあったように思います。

   氏の「独善的」で「言いたい放題」な姿勢も、戦前、戦中の言論統制に対する反骨という観点からは、至って戦後日本的であったと言えます。今から10年ぐらい前までは、昭和世代の企業経営者にも同じようタイプの方がたくさんいたと記憶しています。

   ハラスメントもコンプライアンスも、その概念自体が存在しなかった昭和の世の中。国際的な批判でも浴びるようなことがない限りにおいては、周囲も世論も多少の行き過ぎた発言や行動でもやり過ごしてきた、そんな時代でした。私が間近で見てきた昭和の「独善的」経営者たちもまた、そんな時代を背景にして昭和、平成の時代を生き延びてきたと言えるでしょう。

戦後の「新しい日本」を先導した2人のリーダー

   石原氏の訃報に接して、私は氏とは対になる存在と密かに捉えてきたひとりの「昭和人」のことを思い出しました。故青島幸男氏です。石原氏とは同い年。放送作家から作詞家、テレビへのタレント的出演など多彩な活躍で知名度を上げ、石原氏と同じく国会議員に転じて昭和の「ジャパニーズドリーム」を体現した一人でした。

   奇しくも、議員初当選も石原氏と同じ1968年の参議院議員選挙の全国区。自民党と無所属の違いはあれど、石原氏が1位当選、青島氏が2位当選というワンツーフィニッシュからは、いかに当時彼らの国民的人気が高かったのかがうかがい知れ、戦後20余年という時代的背景を強く感じさせられます。

   青島氏のスタイルは徹頭徹尾石原氏とは対照的に思えました。誰からも束縛をされない「気ままな自由人」「一匹狼」といったタイプでしたから。もっとも、高度成長期、「無責任」キャラで一世を風靡した人気タレント故植木等氏のイメージを創ったのは、放送作家兼作詞家としての青島氏でした。氏が作詞した「スーダラ節」で象徴的にイメージされた植木等のキャラクターは、国民から絶大な人気を誇ったのですが、そこには青島氏が思い描いた戦後日本の理想的な生き方を体現した人物像が込められていたように思います。

   一見、石原氏とはまったく別の道筋を歩んで来たかのように思える青島氏ですが、氏の思想の根底にあったものもまた戦前、戦中の思想的・生活的拘束に対する反骨であろうという意味からは、その心根は石原氏と同じ戦中体験に根差していたと言えます。

   両氏とも自己の知名度を上げ政界に打って出たことからは、戦後の「新しい日本」をリードするという気概をもって行動したという共通点も見えてきます。共に、政治家としての活躍の場を国政から首都東京に移したのも(青島氏は95~99年に都知事を務め、氏辞任の後、石原氏が2012年まで後任を務めた)、決して偶然ではないとも思えるところです。

リーダー像は時代と共に変わる、だからこそ...

   国政での活躍から都政をリードする立場に至る、石原、青島両氏の長年にわたる根強い人気は、戦時体験を共有した「昭和人」世代の人々に支えられていたとも言えます。

   そして、我々昭和30年代生まれのアラ還世代は、その「昭和人」世代を親に持ち、彼らの考え方に大きな影響を受けながら育ってきた「昭和人ジュニア」世代です。「昭和人ジュニア」は成長過程の日常生活において、親世代の戦前、戦後の苦労話を聞かされることも多かったものです。そして、石原氏や青島氏の著作がベストセラーとなり、人気を集め彼らが選挙で大量得票を得て当選する姿を、何の違和感もなく受け入れられた世代でもあったと言えるでしょう。

   「昭和人」石原、青島両氏の政治家としての終末もまた、同じ道筋でした。都知事退任後に国政選挙落選という、急速な求心力低下の現実を突きつけられ政界を引退。青島氏は引退後ほどない2006年に、持病の悪化により74歳で逝去しました。

   さかのぼること約15年、いち早く「昭和人」世代リーダーの時代が終わりを告げた訃報であったかもしれません。石原氏は、青島氏の死後も都知事として活躍を続けていましたが、その昔ながらの「歯に衣を着せぬ」言動に対しては、以前にはなかった強い批判を受けるような場面も多くなり、新しい時代との齟齬(そご)や影響力の低下を感じさせられもしたものです。

   昨今、若い人たちから理想の上司やリーダー像の話を聞くたびに、あるべきリーダーのスタイルというものは決して不変ではなく、時代の移り変わりと共に求められ、受け入れられるリーダーのタイプは変わりゆくものである、と思わされる場面が増えてきました。

   今世の中は、岸田首相をはじめ、主に我々「昭和人ジュニア」世代が、多くの組織や場面でリーダー役を務めています。まだ「戦後」と言われた時代の中で、石原氏や青島氏をはじめ「昭和人」世代のリーダーたちを、当たり前のように手本としてきた世代です。

   先人世代の最後尾で逝った石原慎太郎氏の訃報に接し、我々「昭和人ジュニア」世代も自己のリーダーシップが果たして、急速に変わりゆく今の時代に受け入れられているか否か。今一度自問してみる必要がありそうだと、強く思わされた次第です。

(大関暁夫)