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「さんさ踊り」が繋ぐ岩手との絆 感謝の思い込めて舞う日を待つ【震災11年 あしたへ】

   2011年3月11日14時46分――。未曽有の地震と津波が東北地方の太平洋沿岸を襲った。「なんだ。これは......」。東京でさんさ踊りを伝承する「大江戸さんさ」代表の長谷川淳(はせがわ・あつし)さんはテレビ画面から、ぼう然と見ているしかなかった。

   東北地方は祭りの宝庫だ。被災地、岩手県には「盛岡 さんさ踊り」がある。青森県のねぷた祭りや宮城県仙台の七夕まつり、秋田県の竿灯、山形県の花笠まつりに、福島県のわらじまつりや相馬野馬追まつりなどがそれだ。豪華絢爛、勇猛果敢。伝統を語り継ぐ人々がいる。

   長谷川さんは、煌びやかなさんさ踊りに魅せられ、この踊りを通じて岩手県の復興を、遠く東京から支えようと仲間と舞い続けている。東日本大震災から11年。この2年ほどはコロナ禍で観光PRのためのイベントは多くが中止を余儀なくされ、活動もままならないでいる。話を聞いた。

  • JR浦和駅構内で行われた「いわて産直市」で(2015年5月撮影)
    JR浦和駅構内で行われた「いわて産直市」で(2015年5月撮影)
  • JR浦和駅構内で行われた「いわて産直市」で(2015年5月撮影)

みんなと一致団結して、すべてを出し尽くして踊る

――さんさ踊りの魅力を教えてください。

長谷川淳さん「太鼓や笛、踊り、唄が織り成す一体感や躍動感、迫力がある群舞、男性的な力強さと女性的な優美さの共存、踊りの型があるものの敷居は高くなく親しみやすいところなどが魅力だと思います。また、どのパートも奥が深いので、上達するためにはたくさんの研鑽を積まなければならず、長年やっていても飽きることがありません。いち参加者としては仲間とともに練習を重ね、パレードでは一致団結して、すべてを出し尽くして踊る、そんな熱血を注ぐような祭りであることにも大きな魅力を感じています」
「震災後、岩手県の復興を支援のために踊りました」と語る長谷川淳さん
「震災後、岩手県の復興を支援のために踊りました」と語る長谷川淳さん

――東京でさんさ踊りを広めようと考えたきっかけを教えてください。

長谷川さん「偶然が重なりました。団体の立ち上げ当初(2007年)は、発起人(後の大江戸さんさ初代代表)がコネクションを作って参加できるようになった『うえの夏まつりパレード』に継続的に参加することと、その頃に新しく作られた『福呼踊り』を習得することが目標で、定期的に集まって練習したり、練習後の飲み会で語り合ったりと、少人数で同好会的な活動をしていました。その約1年後、岩手県から上野観光連盟(うえの夏まつりパレード事務局)に、JR上野駅で行われる『いわて・平泉観光キャンペーン』のプレイベントへの協力依頼があり、それを私たちが担当することになりました。
   イベントでは岩手から派遣された二人の『ミスさんさ』の方々と共演して、さんさ踊りを披露したのですが、同行されていた岩手県職員の方(伝統さんさの保存会に所属)から、さまざまなアドバイスをいただき、かつその後もたびたび出演の依頼をいただいたことが、一つの契機となりました。それまでは自分たちが楽しく活動できればと思っていましたが、出演を重ねるにしたがい、ご依頼いただいた気持ちに応えられるよう、見てくださる方々にアピールできるようにしたいという思いが出てきて、活動内容を見直していきました。
   もう一つの契機は、東日本大震災です。それまでの私たちの活動の記録(ブログ)が復興支援イベントの企画担当者の方々の目にとまり、多数の出演をさせていただくことになりました。私たちとしましても、復興支援に繋がるなら、という思いで可能な限り出演依頼をお受けし、精一杯PRさせていただきました。その頃から、岩手県やさんさ踊り、復興支援のPRをそれまで以上に意識するようになったと思います。また、出演が増えるにしたがって知名度もアップし、震災後は入会者数が一気に増えました。このような偶然が重なり、現在のような、東京でさんさ踊りを広める活動を行うことになりました」

震災直後のメンバーたちの葛藤

復興支援イベントの出演前、控室で(2019年撮影)
復興支援イベントの出演前、控室で(2019年撮影)

――東日本大震災直後は、どのような様子だったのでしょうか。

長谷川さん「メンバーの家族や親類で被災された方がいました。また個人で、ボランティアや義援金など、復興支援に携わった方もいました。メンバーの気持ちを直接聞いたわけではないのですが、みんな、つらく悲しい気持ちを抱えつつ、故郷のために何かしたいと考えていたと思います。一方、当時の社会全体の自粛ムードもあり、大江戸さんさとしてどうするかについては、かなり悩みました。ブログに追悼とお見舞いの文章を掲載した後、当時の副代表と話し合い、メンバーにはメッセージ(方針)を発信しました」

――メンバーの方々とは、どのようなお話をされたのでしょう。

長谷川さん「これがメンバーへのメッセージです。


~~東北地方太平洋沖地震が発生し、2週間が経とうとしています。家族や友人が被災した方は、安否確認がとれるまで心配な日々を過ごされたと思います。あるいは周りにお亡くなりになった方がいて、心を痛めている方もいらっしゃるかもしれません。また、被災者の方々のために何かできないかと考え、行動された方も多いのではないでしょうか。
   大江戸さんさとしてブログに追悼とお見舞いの文章を掲載して以降、個人としてできることは何か、大江戸さんさとしてできることは何か、私なりに考えた結果、『個人でできることは個人で、大江戸さんさでなければできないことを大江戸さんさで行う』のが良いのではないかという結論に達しました。 個人でできることとしては、義援金や物資の寄付、節電、その他ボランティアなどがあるでしょう。しかし、長期間にわたり滞る可能性がある『人、物、お金』の流れについては、個人でどうにかできるものではありません。
   そこで、岩手県などと協力して、被災した県に人を呼び込めるようPRすること、また息の長い支援を呼びかけることなどが、大江戸さんさとしてできることなのではないかと思います。
   当面の活動方針は以下のとおりとしたいと考えています。

・大江戸さんさとして、募金やボランティアなどの活動は行わない(個人での活動を制限するものではありません)
・岩手県等と連絡をとり、復興支援やPRに関するイベントが開催される際は、会として積極的に(無償で)協力する(岩手県東京事務所とはすでに連絡を取り、できるだけ協力させてほしいとお伝えしています)
・練習は通常どおり行う

   練習再開については、時期尚早と考える方もいると思います。私も、当面は練習を自粛する方向で考えていました。でも、さんさ踊りを通じて東京から被災地を支援できるかもしれないという可能性を考えた時、犠牲者への弔意・被災者への思いやりを胸に、一所懸命稽古をすることも大事なのではないかと思い、4月からの練習再開を決めました。
   これらに関する意見は、人それぞれだと思います。だから、練習への参加や復興支援イベントへの参加を強制するつもりはありません。みんなが自分で判断し、参加・不参加を決めてください。
   賛成、反対、提案、相談など、いろいろな意見があると思います。コメントとして書いても、直接私に連絡してくれてもかまいません。みんながどう考えているか、教えてください~~


   この方針には賛否ありましたが、最終的には震災直後の4月から活動を再開することになりました。2011年~12年は東京都内で多くの復興支援イベントが開催され、岩手県や盛岡市だけでなく、さまざまなイベント会社や企業からご依頼をいただき、協力させていただきました。結果論ですが、早期に活動再開を決めてよかったと思っています」
JR上野駅でのイベントで(2019年2月撮影)
JR上野駅でのイベントで(2019年2月撮影)

コロナ禍でイベント中止 活動再開に気持ち合わせ

第41回日本橋・京橋まつり 大江戸活粋パレードにて(2013年10月撮影)
第41回日本橋・京橋まつり 大江戸活粋パレードにて(2013年10月撮影)

――コロナ禍で人流が抑制されるイベントは多くが延期や中止を余儀なくされました。また、観光業は大打撃を受けました。大江戸さんさの活動にも影響があったのではないでしょうか。

長谷川さん「この2年間は、パレードはもちろん、首都圏でのイベントはことごとく中止となり、出番はまったくない状態が続いています。練習会もほとんど開催できず、活動らしい活動はできていません。焦りやもどかしさを感じることもありますが、今は仕方ないと割り切って、来る活動再開の日に備えています」

――東日本大震災から11年に経ちました。この11年間を、どのような思いで活動を続けてきたのでしょうか。

長谷川さん「感謝の思いに尽きます。この11年間にたくさんの方々との出会いがあり、そのおかげで、今の私たちがあります。被災していない私たちに何ができるのか、私たちが踊るさんさ踊りが何の役に立つのか、悩んだり迷ったりした時期もありました。しかし、たくさんの方に背中を押していただいたおかげで、ここまで活動を続けることができました。だから、これまでも、これからも、たくさんの感謝と、岩手への想いを胸に踊っていきたいと思っています」

――あらためて、岩手県への震災復興とさんさ踊りへの思いを教えてください。

長谷川さん「岩手が、さんさ踊りが、「大好き」のひと言に尽きます。大好きだからこそ、一人でも多くの方にその魅力を伝えたい。被災されたみなさんが笑顔で暮らせるようになってほしい。これからもさんさ躍りを通じて、岩手のPRを続けていきたいと思っています」

【プロフィール】
長谷川 淳(はせがわ・あつし)

大江戸さんさ代表

小さい頃から神輿やお囃子などの地元の祭りに親しみ、高校生の時には獅子舞(笛)に興じる。東京で鉄道総合技術研究所に就職後、2005年4月から2年間、出向で盛岡に滞在。その時の会社の上司に勧められて、盛岡さんさ踊りに参加。その楽しさに魅了された。
2007年に帰京後、SNSを通じて知り合った仲間数名とともに「大江戸さんさ」の立ち上げに関わる。その後、初代の代表から代表職を引き継ぎ、現在に至る。
福井県出身、46歳。