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銀行と通貨が「信用されない」ミャンマーで、どうしたら融資制度をつくれるか?...日本人銀行員の奮闘記

   銀行と通貨が信用されていないミャンマーで、いかに中小企業融資制度を整備するか。本書「ミャンマー金融道」(河出新書)は、海外勤務経験がなかった日本のメガバンクの行員が、孤軍奮闘しながらミャンマーで関連する制度や法をつくった経緯を綴った痛快なノンフィクションである。

「ミャンマー金融道」(泉賢一著)河出新書

   サブタイトルが、「ゼロから『信用』をつくった日本人銀行員の3105日」。著者の泉賢一さんは、1966年生まれ。神戸大学卒業後、太陽神戸三井銀行(現三井住友銀行)に入行。2013年からミャンマーで、中小企業への融資制度づくりに尽力した。現在は住友林業に勤務。

突然告げられた「ミャンマー」赴任!

   泉さんは三井住友銀行公務法人営業部に勤務していた2013年3月、法人マーケティング部への異動を伝えられる。「ただし、ミャンマーの金融政策に関わる仕事」と告げられ、驚く。海外赴任の経験もなく、ましてやミャンマーに関係する業務の経験もなかったからだ。

   国際部門の責任者だった副頭取との面談で事情がわかってきた。

   三井住友銀行は、1996年にミャンマーで駐在員事務所を開設した。他行が事務所を閉鎖していくなか、駐在を続け、2012年に外国銀行として初めて駐在所を「出張所」へ格上げした。当時、民主化が進むミャンマーでは、近い将来、外国銀行に対し、支店開設が認められる可能性が高いと見られていたのだ。

   ミャンマー側から依頼のあった中小企業融資制度の整備を支援することにより、ミャンマー政府とのパイプを太くしようというねらいのようだった。

   初めてのミャンマー出張で、中小・零細事業者は銀行を利用する習慣がなく、銀行口座を保有しているのは国民全体の20%未満と言われていたが、実際にはその数字以上に銀行を利用していないことがわかった。

   国民が銀行をほとんど利用していないのだから、ほとんど金融は機能していなかった。なぜなら軍政以前の社会主義国家だった1987年、ミャンマーでは経済政策の失敗で急激なインフレが起き、史上3回目となる廃貨令が発表され、流通紙幣が突然利用できなくなったのだ。くわえて、大型銀行の取り付け騒ぎと廃業も重なり、国民の「通貨不信」と「銀行不信」が加速したという。

「預金の仕組みを整えるのが先か? 融資の仕組みを整えるのが先か?」

   そのため、不動産担保だけが融資の審査の判断基準で、融資の期間は最大で1年。なぜなら、預金の期間が最長で1年だからだ。

「1年しか預からないお金を、5年、10年と別の事業者に貸し出せるわけがない。そんなことをしたら、銀行が資金ショートを起こしてしまう。預金の仕組みを整えるのが先か? 融資の仕組みを整えるのが先か? これはもはや卵と鶏の世界である」

   そんな途方もないところからのスタートだった。

   財務副大臣に会い、日本でも定着している「信用保証付き融資制度」のようなものを整備したい、とノートを読み上げ説明した。すると、2015年11月の総選挙までに、信用保証制度をつくってほしい、とリクエストされた。期限付きで「丸投げ」されたのだ。

   2014年1月に、「ミャンマー中小企業融資推進アドバイザー」に任命され、ヤンゴンに赴任した。

   ここで、財務副大臣が「力技」を発揮。自身が所管する財務省管轄下の国営保険庁から、融資保険を保険商品の1つとしてリリースさせる形で進めることになった。だが、銀行からの問い合わせはなかった。

   泉さんが立案したのは、返済が不能になった場合、その残債額の60%を保険庁が銀行へ支払うという仕組みだったが、ミャンマーの銀行は100%の返済を求めたからだ。

   どうしたらよいものか――。そこで、日本の財務省幹部のアドバイスを受け、商品変更を提案した。

   貸出先が倒産したり回収不能となったりした場合、不動産などの物的担保が残高の40%以上をカバーできていれば、残りを保険庁が補填するので、銀行には損失が出ない仕組みに変えたのだった。

   そして、工業省が主催するセミナーに参加すると発行される「中小企業メンバーカード」を保有することが、融資保険の申し込み用件になる。

   この時、泉さんは毎週、セミナーの講師を務めた。さらに、泉さんは全国を行脚し、信用保証付き融資の利用者は少しずつ増え、2017年7月には100件を超えた。本書にも、托鉢用お椀製造業者、金箔製造業者、ござの製造業者など、利用者の写真が載っている。本当に零細な業者が利用したことがわかる。

   次に、日本の信用保証制度を参考に、ミャンマー信用保証協会法のドラフトをつくり、法案は成立した。取り扱い銀行も10行に拡大し、2019年2月には、利用事業者数は1000社を突破した。そのうち、800社は自ら足を運び、事業者と面談したという。

ミャンマー版住宅金融公庫の責任者に

   軌道に乗ったと思ったら、次のミッションが降ってきた。

   ミャンマー版住宅金融公庫と言うべき、「建設住宅インフラ開発銀行(CHIDB)」への派遣である。泉さんは三井住友銀行を退職し、CHIDBの実質的なCEO(経営執行役)となった。

   中期経営計画を立てるなど改革を進め、半年後にCOO(最高業務執行役)となった。住宅ローンがなかったミャンマーに、日本のODA(政府開発援助)で住宅ローンができた。

   そんな矢先、コロナ禍により、泉さんは帰国を余儀なくされる。

   この時は、権限委譲を行い、日本からリモートワークで指揮した。だが、給与の受け取りを固辞したため、COOを解任された。無給の「スペシャル・アドバイザー」になったが、やむを得ないことだった、と割り切っている。

   コロナが収束したら、またミャンマーに戻るつもりだったが、2021年2月1日のクーデターで、すべてが水の泡になりかねない事態となった。泉さんのODA関連活動もいったん終了した。

   日本の銀行員が1人で外国の金融制度をつくるさまは、さながら小説のようだが、事実だ。それだけに、クーデターへの失望は深く、一刻も早い民主化路線への復帰を願っている。

(渡辺淳悦)

「ミャンマー金融道」
泉賢一著
河出新書
935円(税込)