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世界インフレの原因は、パンデミックの「後遺症」

   欧米を中心に、インフレが深刻な状況になっている。本書「世界インフレの謎」(講談社現代新書)は、その原因を明快に説明してくれると評判になり、ベストセラー入りした本である。一方で、日本はインフレ率が世界最下位。それが決して喜ぶべきことではないとして、脱出のシナリオを示している。

「世界インフレの謎」(渡辺努著)講談社現代新書

   著者の渡辺努さんは、東京大学大学院経済学研究科教授。専攻はマクロ経済学。著書「物価とは何か」(講談社選書メチエ)が話題になり、いま最も注目されている経済学者の1人である。

インフレの原因は、ウクライナ戦争ではない

   世界的なインフレは、ロシアによるウクライナ侵攻が原因――。メディアではこう、繰り返し解説してきたが、冒頭でこれを否定していることに驚いた。

   戦争の混乱や経済制裁によって、ロシアからの原油や天然ガスなどの燃料資源、ウクライナからの小麦などの食糧、それらの供給が滞り、価格が高騰。それが、経済全体に波及してインフレを引き起こした――そうした説明は、一見もっともらしいが、「戦争はインフレの主原因ではない」ということは、渡辺さん個人の私見ではなく、世界の専門家のあいだですでに合意ができている理解だという。

   その明確な証拠として、インフレは戦争前の2021年春からすでに始まっていたことを挙げる。米国、英国、欧州のインフレ率予測値のグラフを示し、戦争によって1.5%ほどポイントを引き上げたと説明。影響はあったものの決定的なものではなかった、と断じている。

   2022年夏の時点で、米欧のインフレ率は前年比で8~9%という高い水準で推移し、このうち戦争に起因する部分が1.5%程度だとすると、残りの原因は何だったのか、と論を進める。

   2021年に何があったのか?

   新型コロナウイルスによるパンデミックが思い浮かぶ。グローバルなサプライチェーンが寸断され、各地でさまざまな商品が品薄になり、価格が高騰し、「誰もがすでに過去のものであると言わんばかりに忘却したインフレが、世界が無防備になったその瞬間を待っていたかのように、半世紀ぶりに襲いかかってきたのです」。

   しかし、2022年になると、欧米ではマスクなしが当たり前になり、感染は収まったとして、経済活動は再開された。それなのに、なぜ、インフレは収まらないのか?

パンデミックによる「行動変容」

   推理小説を読むように、渡辺さんは「謎」を解いていく。

   失業率とインフレ率の関係を示した「フィリップス曲線」という経済学者の常識も通用しない事態。そこで、渡辺さんが注目したのが、労働者や消費者の行動の変化、つまり「行動変容」だ。

   浮かび上がってきたのが、「同期」というキーワードだ。

   ウイルスとの闘いにおいて、世界中の誰もが同じ行動をとってきた。ステイホームがその最たるものだ。すべての国を同じ現象が同時に襲うという、ありえないことが起こったため、多くの人が同じ行動をとる「同期」という現象が起きた、と説明する。

   通常、人々の経済行動は「同期しない」のだという。「捨てる神あれば拾う神あり」で、誰かが何かの行動をとれば、それとは真逆の行動を別の誰かがとることによって、経済は全体として安定が確保される。株式の売買も同様だ。個々人の売りが完全に同期すれば、大暴落が起こってしまう。

   このほかにも、消費者は労働者でもあり、ウイルスへの「恐怖心」が広がることにより、米国では自発的な離職が進み、人手が足りないのでモノやサービスの生産が十分にできず、供給不足におちいり、インフレになった、と推測した。

   これらをまとめ、パンデミックによる「3つの後遺症」が、世界インフレを起こした、と説明する。

1 消費者の行動変容(サービス消費からモノ消費にシフト)→モノの価格が上昇
2 労働者の行動変容(自発的な離職)→労働供給が減少
3 グローバル供給網に隘路が発生→部品調達ができず生産活動が停滞

   これら3つが重なり、経済全体の需要と供給が釣り合わなくなり、世界インフレになった。そして、現在進行しているインフレは、新たな価格体系へと世界経済が移行する過程で発生している現象と見ている。

   その移行は、時間はかかるかもしれないが、いずれは完了し、そのときインフレは止まるという。時間は数四半期なのか、数年なのか、それ以上なのかは誰にもわからないそうだ。

日本だけが苦しむ「2つの病」

   そんな世界において、日本だけが取り残されている。2022年の世界のインフレ率ランキングで、日本は0.984%とIMF(世界通貨基金)加盟192カ国の最下位なのだ。それは輸入物価の上昇分を国内価格に転嫁しきれていないことを示している。

   エネルギー関連の「急性インフレ」と「慢性デフレ」という2つの病が同居するのが、日本の特別な状況なのである。

   日本では、「値上げ嫌い」と「価格据え置き慣行」が当たり前になっているが、今回のウイルスがもたらした事態はある意味で「チャンス」とも、渡辺さんは考えている。

   凍りついた賃金というハードルを乗り越え、慢性デフレからの脱却を果たせるのか、日本は大きな岐路にある、とむすんでいる。(渡辺淳悦)

「世界インフレの謎」
渡辺努著
講談社現代新書
990円(税込)