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転機は「会社で初めて悔し涙した日」~業績より、育成にこだわった上司に感謝【部下の心を動かした『胸アツ』エピソード「1」後編】(前川孝雄)

   「前川孝雄の『上司力(R)』トレーニング~部下の心を動かした『胸アツ』エピソード」では、実際にあった感動的な現場エピソードを取り上げ、「上司力(R)」を発揮する方法について解説していきます。

   今回の「エピソード1」では、「転機は『会社で初めて悔し涙した日』~業績より、育成にこだわった上司に感謝」というエピソードを取り上げます。

監査法人に決算数字の説明ができない?!

   <転機は「会社で初めて悔し涙した日」~業績より、育成にこだわった上司に感謝【部下の心を動かした『胸アツ』エピソード「1」前編】(前川孝雄)>の続きです。

   未経験の経理職へと転身を果たした木村さんは、厳しくも温かい上司の大島さんに導かれて、みるみる成長していきます。しかし、さらなる試練が待っていました。

   木村さんは、入社3年目で早くも現場リーダーに抜擢されます。決算全体を統括したうえで、監査法人のレビュー対応を任されたのです。自信をつけつつあった木村さん。経理実務は難なくできるようになっているので、自分で入れた数字のことはすべて説明できるはずだと確信していました。

   ところが、いざ臨んでみると...決算説明の一部を、監査法人になかなか納得してもらえません。先方からの専門的な質問に懸命にメールで答えるも、解決どころかどんどん突っ込まれる始末。メールも長文になり、やりとりは長期化していきます。

   監査法人のレビューは、会社の決算数字がすべて固まった時点で受けるもの。もし、数字に修正を要するなら、上場企業としては一大事。木村さんは焦りはじめます。メールでのやりとりを何往復もし、電話やオンライン会議でも直接話して説明したり...。

   「そんなに難しいことではないはずだ」と自分に言い聞かせながらも、焦る気持ちばかりが膨らみます。ついには監査法人側の上層部が登場してくる事態に。

   さすがに上長に相談しないとまずいと思った木村さんは、取締役になっていた大島さんのところへ慌てて相談に行きます。時間は夜の9時。緊急のオンライン会議が開かれました。

会社で初めて泣いた夜

   オンライン会議ができる会議室で深夜の監査法人とのやりとりが始まりました。口火を切ったのは、上司の大島さん。ところが、大島さんの説明は正味1分程度。とても短いシンプルなもので、監査法人サイドからは1つの質問もなく、「わかりました」の一言のみ。一瞬の出来事でした。

   会議室から出た瞬間、木村さんの目からは涙が溢れ出て止まりませんでした。

   自分が何日もかけて説明して解決できなかったことが、大島さんだと1分で終わり。自分の何が足りなかったのかと、悔しくて悔しくて仕方がなかったのです。

   「この悔しさを絶対忘れないようにね」。上司の大島さんは、一言だけ声を掛けたのです。

   後日、この出来事について上司の大島さんは次のように語っています。

「当時の彼女には、リーダーとしてプロジェクトの統括を任せていました。どんな仕事もそうですが、リーダーの責務は、いろんな人が最後にしっかり納得できる結末に持っていくこと。ゴール設定やそこまでの段取り、プロジェクト全体の交通整理、自身の頭の中の整理など、たくさんのことをこなさないといけません。メンバーからリーダーとしての発想の切り替えが必要な時期だったんです」

   この試練も木村さんにとっては、一皮むける節目になりました。上司の大島さんはそのことを想定しながら見守り、木村さんに対してもキャリア形成の意味づけしているのです。

「会社の上場よりすごい成功」未経験から史上最短マネジャー昇進

   木村さんは、絶妙に設定された修羅場経験から逃げることなく乗り越え、未経験採用されてわずか5年で、上場企業の経理マネジャーに抜擢されました。急成長を遂げる同社の中でも、会社史上最短で昇格できた女性管理職です。

   上司の大橋さんは、木村さんの昇格をわがことのように喜び、こう話します。

「木村さんの成長は、上司である僕自身の自信にもなりました。組織全体でここまで育てられたと思っています。経験や資格を持っていたわけでなく、まったく素人だった人材が、上場企業の経理責任者に育った。いまや監査法人さんも一目置くほどです。こうした人の成長は、会社が儲かったり上場したなどよりすごい成功事例。会社として私たちは誇らしいのです」

   木村さんは、部下を持つ立場になりました。今後に向けてこう語ります。

「短期的な会社の業績よりも、これほどまで手間をかけて部下の育成に力を注いでくれた上司に感謝しかありません。この恩返しを今後は私の部下に向けて果たしていきます。仕事を通して学ぶことはまだまだ多く、環境変化も激しいなかで会社も常に変化を求められています。最初は自分のキャリアのことしか頭になかったのですが、いまは会社とともに自分も成長していきたい。そして人を育てていきたいんです」

人を育て上げられたことが最大の財産

   このエピソードからの学びを、3点挙げましょう。

   第1に、上司の大島さんが、一人の未経験人材を一人前のリーダーへと立派に育て上げられたことが、会社の業績向上以上に成功であり誇りだと明言していることです。

   A社は創業から飛躍成長し株式上場しています。こうした企業では、往々にして上司の日々のマネジメントは数値的な業績目標や短期的成果を追いがちです。人の成長を待てないため、即戦力人材を求めがちです。

   しかし大島さんは、人を育てることこそが組織の価値を高めるのだというゆるぎない信念を持っていました。まったく右も左も分からない素人の部下が、仕事を通してゼロから学び、歯を食いしばり成長できたこと。そして、見事に修羅場を乗り越え、管理職にまでなったこと。それこそが組織の大きな財産だと考えているのです。

   しっかり育った部下がバトンを受け継ぎ、さらに次世代と組織をより成長させる存在になることこそ、企業の持続的な成長につながると考えているのです。まさに、人的資本経営時代にふさわしい、人材育成重視の経営と言えるでしょう。

   第2に、部下に仕事を任せることが大事とはいえ、決して丸投げにしないことです。私は、常々「3割ストレッチ」と表現しています。これは、常に部下が本人の力量より少し高い目標に向けて努力できるように、仕事を任せることが大切です。あまりに高い目標では息切れし潰れてしまうし、簡単すぎる目標では本人の成長につながりません。

   上司の大橋さんは木村さんの成長に合わせて、その都度高い目標を与えながら、徐々に成長を促している点が優れています。部下の負けず嫌いな性格を踏まえ、修羅場経験によって大きな成長を促しているところが見事です。部下の持ち味や成長ポイントの深い理解こそが、人材育成の要なのです。

   第3に、部下に任せたとはいえ、仕事自体は組織としての真剣勝負。部下に委ねた仕事が重責になるほど、失敗した場合、企業としてのリスクも大きくなります。そこで、部下が完遂できない場合も想定し、上司が完璧にフォローしたというエピソードも重要です。

   部下と組織を育てるためにこそ、自らも常に自分磨きを忘れず、時代に遅れず学び続ける。そうした上司が、いま求められているのです。

※「上司力」マネジメントの考え方と実践手法についてより詳しく知りたい方は、拙著『部下全員が活躍する上司力 5つのステップ』(FeelWorks、2023年3月)をご参照ください。

※「上司力」は株式会社FeelWorksの登録商標です。


【プロフィール】
前川 孝雄(まえかわ・たかお)
株式会社FeelWorks代表取締役
青山学院大学兼任講師、情報経営イノベーション専門職大学客員教授

人を育て活かす「上司力」提唱の第一人者。リクルートを経て、2008年に管理職・リーダー育成・研修企業FeelWorksを創業。「日本の上司を元気にする」をビジョンに掲げ、「上司力研修」「50代からの働き方研修」「eラーニング・上司と部下が一緒に学ぶ パワハラ予防講座」「新入社員のはたらく心得」などで、400社以上を支援。2011年から青山学院大学兼任講師。2017年働きがい創造研究所設立。情報経営イノベーション専門職大学客員教授、一般社団法人 企業研究会 研究協力委員、一般社団法人 ウーマンエンパワー協会 理事なども兼職。連載や講演活動も多数。
著書は『50歳からの逆転キャリア戦略』(PHP研究所)、『「働きがいあふれる」チームのつくり方』(ベストセラーズ)、『コロナ氷河期』(扶桑社)、『50歳からの幸せな独立戦略』(PHP研究所)、『本物の上司力~「役割」に徹すればマネジメントはうまくいく』(大和出版)、『人を活かす経営の新常識』(FeelWorks)、『50歳からの人生が変わる 痛快! 「学び」戦略』(PHP研究所)等30冊以上。最新刊は『部下全員が活躍する上司力 5つのステップ』(FeelWorks、2023年3月)。