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さすが...と恐れ入る日本人論

   「日本人へ 危機からの脱出篇」(塩野七生著)

    本書の著者は、ローマ帝国の通史である「ローマ人の物語」、ヴェネツィア共和国の通史である「海の都の物語」をはじめ、多数の著書があり、ご存知の方も多いと思う。私自身著者のファンであるが、このコラムの読者の中にはもっと「コア」なファンもおられると思うので、私のレベルを告白しておくと、「ローマ人の物語」はまだ読破できていないものの(まだだいぶ残っている...)、「わが友マキアヴェッリ」や「マキアヴェッリ語録」は読破、その他著者のエッセイ集は数冊。著作「日本人へ」は、著者の月刊誌「文芸春秋」の巻頭コラムをまとめたものであり、本書のほかに、「リーダー篇」と「国家と歴史篇」がある。本書は文芸春秋の2010年5月号から2013年10月号をまとめたものである。

「日本人へ 危機からの脱出篇」(塩野七生著)
「日本人へ 危機からの脱出篇」(塩野七生著)

「初戦にはなるべく弱い相手を見つける」

   本書は、マキアヴェッリの言である「やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがずっとよい」の題辞から始まるが、著者からの日本あるいは日本人に対する強いメッセージでもあると思う。折しもこのコラムを書いているのは霞が関の「官庁訪問」のシーズンと重なるが、本書の「内定がもらえないでいるあなたに」では、著者自身のイタリア渡航に至る破天荒な(!?)エピソードを紹介するとともに(私自身、官庁訪問で学生にこれをやられたら面接官としては合格させないと思う。)、日本人の過度の安定志向や拒絶された際の過剰反応に警鐘を鳴らしている。また、「若者たちへ」では、いわゆる「シラケ」の現象が若者の「負けるんではないかという怖れからきている」とする一方、「自信を持つには人生という戦場では勝つしかない」、「初戦にはなるべく弱い相手を見つける」べきであると示唆する。ここでも著者自身が「競争相手がいない分野を狙」った結果として今に至るエピソードが紹介されているが、私自身、この部分については、常に弱い相手を探すというのではなく、時には発想の転換が必要であることを説いているものと理解している。

国益のためには「悪賢人が必要」

   著者はまた、「悪賢さのすすめ」において、「プレイボーイ」を「少なく与え、多くを取る能力の長けた人」と定義した上で、日本人にはプレイボーイがいないとし、「年齢の問題ではなく、民族の問題」、「わが日本人には本質的に持ち合わせていない」と嘆く。たしかにプレイボーイでなくても日本人同士なら充分にやって行けるかもしれない(むしろこうしたプレイボーイは日本社会の「内輪の世界」では警戒されることも多いのだと思う。)が、「相手が他国人となると通用しにくくなる」と警鐘を鳴らす。野球に喩えれば、直球一本で充分と思ってきた人には「変化球を混ぜてこそ球威」という発想がないということだろうが、著者は、国益のためには「しばしば、悪賢人が必要」と説くとともに、相手によってアプローチのやり方を変えるからこそ「プレイボーイの名に恥じないプレイボーイになれる」とする著者の指摘は、私は本書の定義でも一般的な意味でもプレイボーイではないが(汗)、まさにそのとおりであると頷くしかない。この他にも、著者の韓国人とのやりとりのエピソードが紹介されているが、「かわしはしても逃げはしない」著者の姿勢は、勝負はしていても、(時には悪知恵として)「かわす」ことの有効性を説くものとしてどの分野であっても参考になるものである。著者は「ぶつかるよりも、逃がしてはいかが」において、古代のローマと中世のヴェネツィアが千年以上に亘って繁栄できた要因として、よほどのことがなければ「正面から激突するやり方には挑戦しなかった」ことを挙げているが、ローマとヴェネツィアの通史を書き上げた著者に断言されると「悪賢さ」の必要性について反論のしようもない。

    本書では、これらの他にも英語を公用語にした日本企業、東日本大震災の際のがれき処理、マスコミに対する考察、等多岐に亘るエッセーがまとめられており、どれも示唆に富む。何ら答えが与えられているものではないが、着眼点も洞察も鋭く、さすが塩野七生と恐れ入るところである。私自身、実際に部下や同僚に本書を勧めてきたこともあり、本コラムの読者の皆さまにもぜひ一度手にとっていただきたい一冊としてご紹介したい。

銀ベイビー 経済官庁 Ⅰ種

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。