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令和の初めに考える日本経済の「不都合な真実」

■『日本銀行「失敗の本質」』(原真人著、小学館新書)
■『アカデミックナビ 経済学』(大瀧雅之著、勁草書房)

   金融業界の専門週刊誌として広く業界関係者に読まれ、金融庁をはじめとする官庁サイドからも頻繁に投稿が行われる『週刊金融財政事情』の2019年5月20日号の特集は、「マイナス金利政策の真贋」だ。同誌は、令和時代の幕開けの5月の特集に、このテーマを選んだ理由について、「日本銀行が金融政策の常識を打ち破るマイナス金利政策を2016年2月に導入してから3年超が経過した。・・そのマイナス金利政策を巡って昨今、副作用に関する議論が高まりつつある。背景には、欧州各国や日本でマイナス金利政策を導入してから数年が経過し、実証分析による効果検証が可能となったことが挙げられる。・・(中略)・・マイナス金利政策を今後も続けるべきかを問い直す」としている。

   偶然なのか、上記『週刊金融財政事情』の巻頭コラム「時論」は、日経新聞「私の履歴書」(2011年4月掲載)にも登場する金融業界のご意見番の1人、高橋温・三井住友信託銀行名誉顧問(元社長)が執筆し、「地方経済の疲弊を助長する金融政策を改めよ」と題して、「マンネリに陥っている大都市型のマクロ経済学から脱却し、真に国民生活の向上に資する金融政策へかじを切るべきである」と主張する。

   そんな中、まさに平成時代最後の4月に先立って発刊されていたのが、本の帯に「奇襲、誤算、迷走・・・ 日本軍と黒田日銀 その驚くべき相似!アベノミクスを最も長く批判し続ける朝日新聞編集員の警告の書」としるされ、憂国の表情の著者の近影が印刷されている、『日本銀行「失敗の本質」』だ。

ネット中心にアベノミクスに異論を許さない空気

   評者が、このコラム「霞が関官僚が読む本」の担当第1回目(2012年9月20日)で取り上げたのが、まさに著者の原氏が本書のアプローチや構成で参照した「失敗の本質 日本軍の組織的研究」(戸部良一、野中郁次郎ほか著 中公文庫=1991年=、ダイヤモンド社=1984年=)である。評者は、当時、最近の日本の公共セクターのほか民間企業までもが元気を失っているのは、新たな環境変化に対応するための学習能力、自己革新能力がうまく働いていないためとこの「失敗の本質」から考えた。

   旧日本軍の失敗を明晰に記すこの名著を参照の軸にしたことが、分かりにくい金融政策の議論を非常にすっきりさせていると思う。

   「プロローグ―批判を許さない『危うい空気』」では、原氏が2012年12月19日付け朝日新聞朝刊1面で、政府の財政赤字を日本銀行に押し付け、紙幣をどんどん刷らせてまかなえばよいという、リフレ論に乗っかった安倍路線を「アベノミクス」というキーワードで批判的に論じたところ、インターネット空間を中心にアベノミクスに異論を(いい意味で「水を差す」ことも)許さない空気があり、それ以来、様々な誹謗中傷を受けた経験を率直に記す。

   第1章では、「時間軸」から日本の金融政策の「迷走の軌跡」を叙述する。上述のマイナス金利政策は、無残な失敗に終わった旧日本軍の「インパール作戦」(1944年3月開始)に例えられているが、最近の状況を、破滅を先送りするだけの「泥沼」と断じる。

   第2章は、まさに「失敗の本質」の組織論をもとに、米国の中央銀行FRBと日本銀行の政策・組織の比較を通じ、アベノミクスを分析する。「あいまいな戦略目的」、「短期決戦志向」、非論理的で非科学的なアベノミクスは正しいという「空気」の支配などを手厳しく批判する。

   第3章は、「平和な終戦」はありうるか、として、国民に惨憺たる被害(敗戦)を被らせることなく、この「泥沼」から脱することができるか、を考える。

   そして、エピローグでは、日本経済の大きさ、人口減少と超高齢化からして、第二次世界大戦で敗戦したのちの日本の奇蹟的な復興を成し遂げるというようなことは今回はありえない、と冷静に指摘している。

「単純で将来に十分配慮のない考え」による経済政策を批判

   原氏は、太平洋戦争との対比で、いまの日本の経済政策の深刻な問題を巧みに論じたが、太平洋戦争もその遠因が語られるように、いまの財政金融政策の「泥沼」の遠因を、前世紀の日本経済でのバブルの発生と崩壊に由来するとみる人物が、ケインズの貨幣経済学への深い理解をもとにマクロ経済理論を構築した大瀧雅之東大教授だ。惜しくも昨年7月2日に60歳で逝去したが、その業績は、昨年9月に開催された追悼シンポジウムで詳しく論じられている。

   日本語での生前最後の著作となった『アカデミックナビ 経済学』は、まさに高橋温氏の求める「マンネリに陥っている大都市型のマクロ経済学」を乗り越える1冊だ。

   「バブルはわずかの時間で膨大な利益が発生しうることを、日本人の脳裏に深く焼き付けました。これが先のことを深く考えずに、とりあえずの結果を急ぐ風土を作り出した大きな要因でしょう」とし、「わかりやすく言えば、これまでとまったく反対のことを徹底的にやれば、うまくいくという単純で将来に十分配慮のない考え」で経済政策が進められていることを厳しく批判していた。

   また、戦後の繁栄を支えた経済構造として、「日本型雇用慣行」、チームワークの中での競争をあげ、それを小泉内閣以来の「構造改革」で壊したことが低迷の原因だと喝破する。最近政府は、ようやく、「雇用」というものの政策的重要性に真に気付きつつある。

   さらに、大瀧教授は、公債残高の累増について、「経済が停滞しているときに刺激策は当然のことのように見えますが、それが長期にわたると、その費用は必ず後に続くだれかが支払わねばならないのです」という。加えて、政府・日本銀行のマネーの供給(貨幣供給量)が経済の潜在的な生産力をあまりに大きく上回ってしまうと、市民に貨幣をもっていても財・サービスに代えられないのではないかという疑念を生じさせかねず、こうした疑念が生まれ、流布されると、貨幣への厚い信頼がゆらぎ、大変なインフレーションが起きる危険性が高いと懸念していた。

   原氏と大瀧教授の結論はほぼ同一で、原氏のいう「敗戦」、すなわち、大瀧教授のいうとろの「高率のインフレーション」、から身を守るためには、社会保障費をはじめとした財政の歳出を抑制すること、人口減少に備え公債(国債)を減らすこと、そのためにはかなりの増税を受け入れなければならないこと、となる。

   我々は、この不都合な真実からいつまで眼をそらしていられるか、残された時間はそれほど多くはない。令和の時代の最初にみなそれぞれがこれらの本をひもといて考えるべき重たい課題だ。

経済官庁 AK