霞ヶ関官僚が読む本
戦前世代が苦悩・失望を越え築いた戦後 日本人は「高貴さ」を取り戻せ

   読売新聞は、土曜日の朝刊で「昭和時代」という好企画を長期に続けている。直近では、「第3部 戦前・戦中期(1926年~1944年)」が掲載された。これまでの連載分は中央公論社から出版されている(読売新聞昭和プロジェクト著「昭和時代 昭和30年代」(2012)及び「昭和時代 戦後転換期」(2013))が、この第3部の刊行も待たれるところだ。

   惨憺たる敗戦によって日本は二流国に転落し、国際政治の大きな流れと関係をもたなくなった。よく欧米の指導者の回想録において日本の記述がほとんどないことが自虐的に報道されるが、国際政治の現実からすれば、当たり前のことと冷静に認識すべきだろう。

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元外務事務次官、故村田良平氏の"遺言"


何処に行くのか、この国は

   元外務事務次官の故村田良平氏の「村田良平回想録」(上巻の副題は、「戦いに敗れし国に仕えて」、下巻は「祖国の再生を次世代に託して」ミネルヴァ書房 2008)は、戦前の良質な教育を受けた世代の、敗戦後の日本での、苦悩・葛藤を述べる。村田氏が死の直前に米国との核持ち込み密約を認めたことは記憶に新しい。「何処に行くのか、この国は~元駐米大使、若人への遺言」(ミネルヴァ書房 2010)は、回想録を手軽にまとめたものだ。

歴史問題への批判は「故なき対日誹謗」

   村田氏は、軍部などの組織的欠陥などを批判するが、開戦について一定の合理性を認める。個人の恨みや憤りの感情は残るが、平和条約で線を引くのが、国家間のルールと断じ、中国・韓国の歴史問題への批判を「故なき対日誹謗」として厳しく批判する。今後については、中国との関係は一定の距離をとりつつ、「当面米国との防衛分野での結合を保ち、日米安保体制をより双務的なものとし、かつ少しずつ米国への依存から脱して独自の防衛力を強カしつつ全世界の国々と友好関係を構築する以外に現実的方途はない。」という。そして、日本は永遠に孤立した国であることこそに日本の国家としての特色があると喝破する。

   また、占領軍による、新憲法(現行憲法)、東京裁判、「教育の民主化」、公職追放、民間情報教育局の「洗脳工作」を厳しく批判する。戦後、伝説的知識人となった林達夫の「新しき幕開け」(「共産主義的人間」=中公文庫 1973、「歴史の暮方・共産主義的人間」=中公クラシックス 2005)に共通する、戦後日本のありようへの深い失望がそこにある。

官僚の頂点極めなお…祖国のため政府批判

   人事などについての不満で役所を途中で辞めた元官僚が、その鬱憤を晴らすため、日本政府への批判的な著作を出すことは数多い。しかし、駐米大使、事務次官という官僚の頂点まで極めた者がそれをすることは極めて珍しい。このようないわゆる「戦前」についての記憶を持つ方々の真摯な考えや想いをどう継承するかは、未だに大きな国民的課題だ。

   本書の最終章には以下の記述がある。「一般に国際情勢の判断や行動にあっては、より主体的であって貰いたい。他国の不当な行動や、主張や要求に対しては、より毅然とした態度で、できれば直ちに反論あるいは拒否し、時には無視し、時には反対注文をつけてほしい。この際対応が遅れれば迫力を欠く。速やかに判断し、ほぼ即座に反論や批判を加えるべきだ。そして大国にはおもねず、中小国にも親切な国として、必要な時は救いの手を差しのべる日本であってほしい。」また、「独立の精神、恥を知ること、勇気、そして他人の立場への配慮は、個人にも、国家にも欠かせない資質なのだが、冷戦終了後の混沌たる世界で益々重要となっている。」という。村田氏の願う、日本人が「高貴さ」を取り戻す日とは、実は、氏が貢献した戦後の日本外交の地道な歩みの上に成就するものではないのか。

経済官庁(課長級 出向中)AK

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