2018年 7月 19日 (木)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(2)
ついに戒厳軍が動いた(上)運命の6月3日午後9時

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   天安門事件の前後、すなわち1989年6月3日から4日にかけての行動を振り返っておきたい。

   最初に正直に言っておけねばならないのは、事件直前の情勢判断は残念ながら大変に甘かったということだ。

  • 夕立が度々襲った初夏の天安門広場。太陽が出ると学生たちは湿った布団を干した(1989年5月、加藤千洋氏撮影)
    夕立が度々襲った初夏の天安門広場。太陽が出ると学生たちは湿った布団を干した(1989年5月、加藤千洋氏撮影)
  • 天安門広場の中央民族学院テントの横幕。漢字とウイグル文字で「維族(ウイグル族)大学生ハンスト」とある (1989年5月、加藤千洋氏撮影)
    天安門広場の中央民族学院テントの横幕。漢字とウイグル文字で「維族(ウイグル族)大学生ハンスト」とある (1989年5月、加藤千洋氏撮影)

50日間続いた民主化要求

   後に『天安門文書』などで明らかにされた鄧小平を中心とした党長老たちの動き、李鵬首相、姚依林副首相ら戒厳令発動で積極的に動いた保守派指導者たちの動静については断片的な情報しか握っていなかった。学生たちの希望的観測だったのか、「李鵬首相の立場が微妙になった」との情報が一時北京を駆け巡ったが、ある政府系シンクタンクの友人が「とんでもない。李鵬派の勝利ですよ」とささやいてくれたおかげで、この点は見通しを修正できた。

   市民を巻き込む空前の規模となった民主要求運動は、6月3日で50日間持続していた。主舞台となった天安門広場にはテントが張られ、学生らは毛布やボロ布団にくるまって寝起きし、昼間は座り込みや絶食(ハンガーストライキ)、アジ演説等による抗議活動、時に街頭デモを繰り返すという形で共産党や政府に抗議をし、市民に支援を求めるアピールを繰り返した。

   広場には毎日2度、3度と足を運んだが、7週間余りで溜まった生活ゴミや市民が差し入れたスイカの皮などが腐敗臭を放ち、学生やボランティアが清掃作業で消毒剤などを散布したが、異臭が広場を包んでいた。

   北京は5月1日の労働節(メーデー)がすぎれば、季節は一気に夏だ。最高気温が30度前後になり、時に夕立も襲った。建国以来、大規模な政治行事の舞台となってきた天安門広場は、実は敷石をはがすと簡易トイレになる装置が何カ所かに隠されているのだが、私が見た限りでは未使用だった。学生たちは広場の東西2カ所の臨時トイレのほか、広場周辺の公衆トイレを使っていたのだろう。80,90年代の北京の一般住宅は基本的に「公厠」という共同トイレを使っていた。胡同(フートン)という横町に入ればレンガ造りの公厠があちこちにあった。

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