2018年 8月 20日 (月)

加藤千洋の天安門クロニクル(4)
「あなたは改革者」(上)胡耀邦の死の波紋

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   1989年春から夏にかけて北京で起きた学生らの民主化運動は、4月15日朝、前共産党総書記の胡耀邦が心臓病で急逝したことがきっかけだった。それから7週間持続するデモ行進、座り込み、ハンストなど一連の運動のスタートは、北京の大学生たちが同日午後から取り組んだ胡の追悼活動からだった。

  • 胡耀邦の死をトップニュースで伝えた『人民日報』(4月16日付)
    胡耀邦の死をトップニュースで伝えた『人民日報』(4月16日付)
  • 天安門広場の人民英雄記念碑に追悼の花輪をささげる王丹=左。89年4月17日、加藤千洋氏撮影
    天安門広場の人民英雄記念碑に追悼の花輪をささげる王丹=左。89年4月17日、加藤千洋氏撮影

胡耀邦の急逝がきっかけに

   その日、私は中国東北部・黒竜江省の省都ハルビンにいた。取材先からホテルに戻り、夜7時からの中国中央テレビ(CCTV)の全国ニュースを見ようと部屋のテレビをつけた。荷物を片づけながら、音声だけ聞いていると、厳かな葬送曲が流れ、アナウンサーが重々しく、そしてゆっくりとした口調で伝え始めた。

「長期にわたる厳しい試練に耐えた忠実な共産主義戦士、偉大なプロレタリア革命家、政治家......胡耀邦同志は、1989年4月8日の中央政治局会議に出席中......心筋梗塞を突発し、全力の治療にもかかわらず......4月15日朝7時53分、逝去した。享年73歳」

   この時も『AERA』編集部からカメラマンと2人で中国へ特派されていた。5月中旬に予定されたソ連共産党のゴルバチョフ書記長の訪中で、30年間にわたる中ソ対立に決着をつけるために両国首脳が「和解」の握手をする――第一級の国際ニュースを特集しようと、事前取材で黒竜江省内の中ソ国境地帯を歩いていた。取材をほぼ終えてハルビンに戻り、2日後には北京へ飛び、編集作業のために帰国する段取りだった。

「人間的」だった胡耀邦

   胡耀邦の訃報には、正直、ちょっとショックを感じた。なぜかといえば共産党の数ある指導者の中で、胡には「人間的なもの」を感じ取っていたからだ。庶民的というのか、率直であけっぴろげな人柄にまつわるエピソードはたくさんあった。他の指導者と比べての相対的な評価だが、思想も開明的で、「改革派指導者」と、私は認識していた。

   エピソードを一つだけ紹介しておこう。

   ベストセラー『大地の子』(全3巻、1991年、文藝春秋)の作者の山崎豊子さんが1980年代半ばに北京で、共産党総書記だった胡と会見した。この作品は党トップの胡の全面的な支持を得て、山崎さんがかなり自由に各地を取材できたことが随所に活かされた。北京の要人の執務室や住まいのある中南海での会見で、山崎さんが中国東北部の冬の寒さを話題にすると、いきなり胡耀邦がソファから立ち上がった。何をするのかと思ったら、中国産のダウンはなかなか質が良いのだと言って、両手をバタバタさせて水鳥の飛ぶ格好を真似したそうだ。同席者から聞いた話だが、彼なら、さもありなんだ。

   こうした共産党トップの「軽い」振る舞いに「大国の指導者らしくない」と顔をしかめる党長老たちもいた。そうしたことも後に胡が政治的に失脚する背景の一つにとなっただろう。

   胡は、その遺志に基づいて若き日の思い出の地の江西省共青城の小高い丘に葬られた。それからしばらく後、一人の外国人女性が訪れて墓前に膝まづいて涙したという。「日本の有名作家と聞きました」。墓苑管理者は私にそう説明した。山崎豊子さんだと思う。

   またまたわき道にそれてしまったが、学生たちにとっても胡は党内では政治の民主化に対するビジョンを持ち、経済分野だけでなく政治分野の改革の必要があると認識する指導者だと思われていた。また自分たち若い世代の思いを一番理解してくれる指導者だと慕っていた。

   彼の死は日本の新聞では4月15日夕刊で第一報が伝えられ、朝日新聞は1面トップで「胡耀邦・中国前総書記、死去」「自由化要求で87年失脚」という2本の大見出しで報じている。翌16日朝刊の続報は「胡氏惜しむ知識人・学生」「『あなたは改革者』」という見出しで、北京大学に追悼ビラが張り出されたという報道もある。

   漠然とではあるが、これを機に「北京で、何か起こるかもしれない」との思いが頭をかすめた。17日にハルビンから北京へ飛行機で向かったが、同行のカメラマンに「着いてホテルにチェックインしたら、まず天安門広場に様子を見に行こう」と提案した。

   北京到着後、広場に出かけた。南の方にある人民英雄記念碑の周りに人ごみがあった。いつもの広場の様子と違った。果たして学生たちが追悼行動で、白い紙で作った花輪などを碑の足元に捧げ、頭を垂れて、様々な思いを口にしているのだった。

   別の一群の学生たちがやって来た。花輪を掲げ持つ2人の学生をカメラで撮影した。後で知ったが、その片方の学生が「八九民運」のリーダーの一人になる北京大学歴史学部1年生の王丹、当時20歳だった。

   天安門事件後のことだが、公安省が6月13日に運動の中核となった北京市高等院校学生自治聯合会(略称・高自聯)の幹部ら21名を全国に指名手配した。その顔写真入りの手配リストのトップに挙げられたのが王丹だった。

   彼は一時身を隠すが、他のリーダー(北京師範大学大学院生の女性リーダー、柴玲や、ウイグル族のウルケシら)のように海外脱出はせずに国内にとどまり、間もなく逮捕され、有罪判決を受けて獄につながれた。いったん釈放されるも1995年に再逮捕され、1998年に仮釈放され、その後、米国に亡命した。

(次回「下」に続く)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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