2018年 11月 18日 (日)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(8)
1989年という「節目」(上) 「五四運動」70周年

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   50日間続いた民主化運動の第2段階は、5月4日の「五四運動」70周年記念日の前後の時期と考える。そこで1919年に起きた「五四運動」が、中国社会に持つ歴史的、今日的な意味合いから確認しておきたい。

  • 批判のための資料として当局がまとめた方励之の講演記録
    批判のための資料として当局がまとめた方励之の講演記録
  • 魏京生。ノーベル平和賞を獄中で受賞した劉暁波と並び、現代中国の民主化運動のシンボルである(写真:ロイター/アフロ)
    魏京生。ノーベル平和賞を獄中で受賞した劉暁波と並び、現代中国の民主化運動のシンボルである(写真:ロイター/アフロ)

先陣切った物理学者・方励之

   1919年春、第1次世界大戦後のパリ講和条約で戦勝国である中国の「不平等条約廃棄」という悲願が通らず、ドイツが青島など山東省で握っていた権益がそっくり日本に引き継がれてしまった。

   この事実を知って抗議に立ちあがった北京大学生らが5月4日、天安門周辺に集まってデモ行進を敢行。これが口火として中国初の大規模な反帝国主義、半封建主義の愛国主義民衆運動が全土に拡大。この過程で親日派官僚の自宅が焼き討ちされるなどの騒乱事態も発生した。

   こうした経緯から現代中国では「5月4日」は若者の愛国主義精神のシンボルとされ、「青年節」という記念日になっている。また中国史では近代と現代を分かつ分水嶺が「五四運動」だとされる。

   また「民主と科学」を旗印とした新文化運動を生み、さらに中国共産党の結成(1921年)の契機となったこともあり、体制派であるなしに拘わらず、「五四運動」70周年の節目に当たり、自分たちの要求や不満といったものを何らかの形で表現したいとの空気が中国社会に潜在していたように思える。

   加えて1989年は中華人民共和国の建国(1949年10月)の40周年、さらにはフランス革命で「人権宣言」が高らかに宣言されてから200年という記念の年でもあった。

   このために政治の民主化や人権問題に敏感な知識人や学生の間に、何か行動を起こすのは今年だぞ、といった認識も生まれていた。

   その先陣を切ったのは改革派の論客で物理学者の方励之だった。

   1986年末に安徽省から全国に拡大した学生運動で「学生を背後で操った黒幕」と指弾され、中国科学技術大学の副学長職を解任、共産党から除名されていた。1989年当時は北京天文台研究員で、同じ物理学者であることからソ連の反体制物理学者アンドレイ・サハロフになぞらえ、「中国のサハロフ」などとも呼ばれていた。

   夫人の李淑嫻は北京大学の物理学部助教授で、彼女は民主化運動の学生リーダーの一人、王丹(北京大生)が立ち上げた「民主サロン」の顧問役だった。ちなみに、このサロンの発足も1988年5月4日である。

   方励之は1989年1月初旬、最高指導者、鄧小平あてに書簡を送り、それを公開した。方は中国が解決すべきは人権問題だと指摘し、建国40周年、「五四運動」70周年、フランス革命200周年にあたり、ヒューマニズムの見地から長期拘留されている魏京生をはじめとする政治犯に対し、思い切った恩赦を実施すべきだと訴えた。

   文化大革命後の1978年冬から79年春にかけ、大字報(壁新聞)やガリ版刷りの民間刊行物「民刊」などで、「言論の自由」が限定的に黙認される時期があった。それが「北京の春」と呼ばれる、つかの間の民主化運動だった。

   この時、壁新聞や自らの民刊『探索』誌上で大胆な論陣を張ったのが魏京生だ。政府の「4つの近代化」(農業、工業、科学技術、国防)だけではだめだ。5つ目の近代化、すなわち「民主化」が必要だと主張したことで知られる。

   しかし鄧小平を批判した論考で怒りを買い、当時進行中だった中越戦争に関する国家機密を外国人記者にもらしたとの別件で逮捕され、懲役15年の判決を受けた。仮釈放後に再逮捕されるなど2度の入獄を経て米国に亡命した。

   獄中でノーベル平和賞を受賞し、2017年に死去した劉暁波とともに、現代中国における民主化運動のシンボル的人物といえる。

知識人の動き活発化

   この魏京生釈放を求める方励之の書簡発表に触発され、翌2月に著名な作家、詩人、学者、ジャーナリストら北京の文化界33人が連名で方の訴えとほぼ同様の公開書簡を発表。そして「改革に有利な和やかな雰囲気を創造するし、世界の人権尊重の普遍的潮流にも合致する」とアピールした。

   これに北京科学界42人が公開状を発表して続いた。

   こうした動き以外にも、当時の北京では民主化を求める知識人や運動家が関わる注目される動きがいくつかあった。

   一時、北京駐在の外国人記者らのたまり場ののような空間になっていたのが北京の下町にオープンした「JJ芸術バー」だった。

   オーナーは陳軍という米国から帰国した在米民主化運動組織「中国民聯」のメンバーで、文化人の公開書簡の発起人の一人でもあった。そうした彼の動きを警戒していた公安当局は「外貨の闇取引」を理由に国外退去処分にした。本人は米国籍か在留資格を持ち、妻は英国人だったと聞く。

   もう一つは学生らが関心を寄せていた「新啓蒙サロン」というのがあった。これは方励之や中国社会科学院の研究員、『人民日報』元編集幹部ら改革派知識人が集う場で、若者らと議論する活動を続けていた。

   そんな最中、米国政府を巻き込む外交問題が突発した。1979年の国交正常化から10周年を記念して2月25日から訪中したブッシュ米大統領が、鄧小平ら中国首脳との会談を終えた後の26日夜、北京市内の合弁ホテル「長城飯店」で答礼宴を開き、招待客に方励之夫妻を加えたのだ。

   夫妻は知人の米人夫妻とともに車でホテルに向かったが、約100人の警備陣によって阻まれ、宴会場にはついに到達できなかった。(次回「下」に続く)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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