2018年 12月 16日 (日)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(9)
報道人の決起(下)「新聞法」制定をめぐって

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   民主化運動の期間中、天安門広場や市中の繁華街の電信柱などに学生たちが張り出した伝単(宣伝ビラ)やポスターの一つがこれだ。

   唇に書かれた「人民日報」の題字(これは毛沢東の筆跡だ)。それに大きな×印。その上に「新聞は話したがっている」「新聞は自由が必要だ」と書かれている。中国語で「新聞」はニュースという意味だが、この場合は文字通り「新聞」と解する方がわかりやすい。

  • 広場の人民英雄記念碑に張り付けられた「報道の自由」を要求する学生たちの宣伝ビラ
    広場の人民英雄記念碑に張り付けられた「報道の自由」を要求する学生たちの宣伝ビラ
  • 1983年春、奈良の唐招提寺で修学旅行生と気軽に写真をとる胡績緯社長)
    1983年春、奈良の唐招提寺で修学旅行生と気軽に写真をとる胡績緯社長)

報道の自由求める「新聞法」

   学生たちを応援し、民主化運動の隊列に加わる意志を明確にした中国の報道人たちが党と政府に求めたのは「新聞法」(報道法)の制定だった。「報道の自由」が基本的に保障されている西側諸国では、「新聞法」の制定というと、すでに手にしている「報道の自由」に一定の制限を設けようとする動きにうつる。

   中国の場合は、逆だ。「報道の自由」を保障するための具体的な法規としての「新聞法」を立法せよという要求なのだ。

   現行の82年中国憲法は第2章「公民の基本的権利及び義務」の第35条で「中華人民共和国公民は、言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有する」とうたう。しかし実態としては『世界経済導報』の一件を見てもわかるように、言論・報道への当局の介入はいつ、どこでも自在に行われる。

   このため「新聞法」の制定を求める声は、文革終息後の1970年代末ごろから改革派の報道人の間から上がり始めていた。その中心となったのは『人民日報』元社長の胡績緯だった。かつて胡耀邦と仕事をしたことがあるリベラル派の老練ジャーナリストで、『世界経済導報』の胡追悼座談会にも出席した。

   胡績緯には個人的な思い出がある。

   1983年春の人民日報社長時代、朝日新聞社との交流事業で来日した。大阪本社に勤務していた私は彼ら一行の京都・奈良の案内役を命ぜられ、数日間、身近に接した。初めは共産党中央機関紙トップというので少し構えたのだが、その必要はなかった。小柄な好々爺で、長く着込んだ感じの人民服を愛用。質実剛健な生活習慣が身に着いた根っからの「古参幹部」だった。

   後に北京勤務時代、胡績偉の自宅を訪ねたことがあった。王府井大通り裏の胡同にある5,6階建てのアパートで、どう見ても一般幹部向けと思われる宿舎だった。

   彼は社長を退いた後、胡耀邦政権下で全国人民代表大会(全人代、中国の最高権力機関で、日本の国会に当たる)の常務委員に転じた。すると83年末に「新聞法」起草グループを発足させ、84年1月には中国社会科学院新聞研究所と共同で「新聞法研究室」を組織。85年1月に新聞法(第1稿)を完成させた。

   それは「報道の自由を保障する」という文言が盛り込まれる画期的な内容だった。それ故にだろうが、党内保守派の介入が始まる。保守派イデオローグとして有名だった胡喬木(元毛沢東秘書、党政治局員など歴任)や鄧力群(党中央書記、宣伝部長など歴任)である。中国社会科学院院長だった胡喬木は職権で「新聞法研究室」を閉鎖させ、起草作業を停止させた。

   それでも87年7月には党上層部の審議に供するための「新聞出版法」(送審稿)が完成。胡耀邦と趙紫陽は「新聞法」の必要性を認めていたのだが、結論が出ぬうちに、天安門事件に遭遇。「新聞法」制定の機運は一気にしぼんだ。

封印された「新聞法」

   天安門事件の前後、街中でも、指導者の口からも「秋後算帳」という言葉を何度か耳にした。秋になって作物の取り入れた後、決算をするというのが原義だが、それが「政治運動が終わってからどちらが正しかったか判断し、報復する、落とし前をつける」といった意味に使われる。

   天安門事件後、デモに参加するなどした報道人には多かれ少なかれ処分が科せられた。左遷、配転、降格といろいろあったようだが、知人の北京紙の記者は「自己批判書」の提出だけで済んだという。ただし5,6回は書き直しを命じられたそうだが。

   人民日報社でも大幅な幹部の入れ替え人事が行われた。社長には保守派として知られた高狄・元吉林省党委書記が送り込まれた。その後の社内の雰囲気について、知人の記者が内情を語ってくれた。

   社内の一角に、毎日の紙面について自由に批評を書き込める「評報」というコーナーがある。無署名でいいのだが、しばらくは誰も書き込もうとせず、まったく無視されていたという。

   やがて鄧小平が再び改革開放を訴え始めると、保守派路線の『人民日報』の論調とズレが目立つようになった。すると書き込みが一気に増え、さすが優秀な記者がそろうだけに、高狄社長の発言を巧みに使っての社長批判があふれた。

   すると「社長室」の印が押してある「布告」が張り出された。「今後は無署名の意見は無効とする」「無署名は大字報(壁新聞)と見なす。80年代以降、壁新聞は憲法が保証する公民の権利から削除された。」とあったとか。

   1992年秋の第14回党大会後、高狄社長は解任された。「謹慎」処分を受けた胡績偉は2012年に静かに他界。「新聞法」をめぐる議論は封印された状態が今日まで続いている。(次回は「ゴルバチョフ訪中」上)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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