2018年 10月 23日 (火)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(11)
指導部に亀裂走る(上)混乱よそに中ソ正常化

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   私が1回目の北京特派員として着任したのは1984年12月25日のクリスマスの日だった。赴任前に先輩や同僚から色々とアドバイスを受けた。

「お前がいる間に鄧小平が亡くなるだろうから、準備はぬかりなく」
「中国報道には『女と子ども』『教育』の話題が少ない。ぜひ書いてほしい」
「人事にこだわれ。ベタ記事でもいいから人事の特ダネを」
「中ソ和解の動きに耳をすませ。もう足音が聞こえてきたぞ」

   たくさんの注文や忠告を頂戴したが、思い出せるのはこんなところか。自分でも「なるほど」と思い、ある程度は実践したからだ。

  • 1990年代当時のソ連大使館の正面入り口。6、70年代の文革中は紅衛兵が押し掛けたりした。現在はロシア大使館)
    1990年代当時のソ連大使館の正面入り口。6、70年代の文革中は紅衛兵が押し掛けたりした。現在はロシア大使館)
  • 昏倒した学生を担架で運ぶ
    昏倒した学生を担架で運ぶ

鄧小平、ゴルバチョフの握手

   北京発の第1号の原稿は中ソの関係改善の兆しを感じさせるものだった。1984年12月28日付の朝日新聞朝刊1面に「きょう調印の運び」「中ソ3協定」「ソ連副首相、経済関係の改善急」の見出しで掲載されている。

   北京を訪問したアルヒポフ第一副首相と姚依林副首相の協議が進展し、経済技術協力協定などに調印する運びになったという記事だ。前任者が取材先として引き継ぎいでくれた外交関係者がポロっと漏らした情報だ。1面に載った独自ダネなので北京在勤中につくった切り抜き帳の第1巻の最初の頁に貼った。

   年が明けて1985年3月、ソ連はゴルバチョフ新体制となり、中ソ間にも新風が吹き始めた。おりしもチェルネンコ前書記長の死去(3月10日)でモスクワが弔問外交の舞台となった。中国はソ連留学経験がある将来の指導者候補の李鵬副首相を派遣した。葬儀の場で李鵬が胡耀邦総書記のあいさつを伝えると、ゴルバチョフ新書記長は「胡耀邦同志によろしく」と応じ、中ソ対話の格上げを提案した。

   1989年5月16日の鄧小平、ゴルバチョフの握手が「30年ぶりの和解」とされるのは、1959年9月に中国の建国10周年式典に参加のため訪中したフルシチョフ第一書記と毛沢東主席の会談が決裂して以来ということだ。フルシチョフが批判したスターリンの評価をめぐり、毛沢東と意見が鋭く対立した。両党、両国の対立は社会主義像をめぐる論争に始まり、1969年3月には中ソ国境の係争地、珍宝島(ダマンスキー島)で大規模な軍事衝突が起きるなど、一時は核戦争まで覚悟するという『一触即発』の状況が続いていた。

   こうした過去の「しがらみ」を新世代指導者のゴルバチョフは「新思考」で克服しようとし、中国の改革派指導者、趙紫陽は「ペレストロイカ」から学べる所は学ぶとの柔軟姿勢で応じた。趙が政治改革の用語として口にした「透明度」は、ゴルバチョフの「グラスノスチ」(公開性)とほぼ同じ概念だ。

   しかし鄧小平は違った。ゴルバチョフが経済改革よりも政治改革を優先した「ペレストロイカ」の手法に危うさを感じ取り、中国では経済改革を最優先し、政治改革は状況を見ながら漸進的に取り組むとの姿勢を崩さなかった。

   こうした政治改革に対する鄧と趙のスタンスの違いは「89民運」への対処にもはっきりと表れたといえよう。

   さて最初の北京駐在(1984年12月~88年5月)時代、中ソ関係をウォッチするため取材先の開拓をめざした。中国外交部が開く定例記者会見で顔を合わせる、中国語が達者なタス通信のベテラン記者と雑談したり、時折会見に姿を見せる在北京ソ連大使館の報道担当、C書記官とも言葉を交わしたりするようになった。

   ソ連大使館は50年代の中ソ蜜月時代の名残で別格の扱いで、市北東部に塀の外からは内部がうかがえない広大な敷地を占めていた。Cの話からアイスホッケーの試合ができる大きな池もあることを知った。

   東西冷戦時代の末期。当時のソ連外交官のイメージと違い、いつもスマートなCも、ひょっとしたら西側記者に接触を命ぜられたKGB要員かもしれない。そんな警戒心も抱きつつ、ソ中関係のみならず東側諸国の動向なども解説してくれるCに、私は日本に一時帰国した際は夫人や幼い子ども向きの土産を買ってきてプレゼントしたりした。

ゴルバチョフの新提案をスクープ

   そのC書記官が1989年5月15日の北京に、まだ駐在していたのだ。

   書記長訪中取材のためのプレスセンターで再会し、久闊を叙した。翌16日夜、センターで再び出会うと、袖を引っ張って外までついて来いという。駐車してあった大使館公用車「ヴォルガ」のトランクを開けると、印刷物が納まっている。その小冊子を1部抜き取ると、「はい、プレゼント」とくれた。

   それは翌17日午前、人民大会堂で予定された書記長の講演原稿で、参加する中国各界代表者用に中国語に翻訳してあった。

   プレスセンターに戻り、目立たぬように部屋の隅っこで読み進むと、「ソ連極東部で兵力12万人削減」「ソ連太平洋艦隊の艦艇16隻削減」「中ソ国境地帯の非軍事化」など大胆な新提案が盛り込まれている。急いで同僚記者と原稿にまとめた。翌17日朝刊に「ソ連極東軍12万人削減へ」「約7000キロの中ソ国境の非軍事化も」「ゴ書記長きょう提案」の大見出しが躍った。記事冒頭に明示した情報源は、いまは存在しなくなった「北京の東側筋」である。

   ゴルバチョフの4日間の滞在中の発言は、鄧小平が中ソ関係正常化の条件として挙げていた政治的、軍事的な障害のすべてに答えるものではなかったが、両国家間と両党間の関係正常化が確認された意味は大きい。

   それにしても50日間の民主化運動のちょうど真ん中あたり、広場が学生に占拠されて政治も社会も動揺していた渦中に、歴史的な中ソ和解外交が展開されたことは、いま振り返るとちょっと不思議である。(次回「下」に続く。掲載は10月27日)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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