2019年 5月 23日 (木)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(13)
最終決断は『ドン』だった(下)『我々が金箔で飾ってやった男』

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   ここまで戒厳令の具体的な内容について触れてこなかったが、李鵬首相名で国務院(政府)が発表した「北京市一部地域に戒厳を実施することに関する命令」の全文は以下の通りだ。

「北京市ですでに重大な動乱が起き、社会の安定が破壊され、人民の社会生活と正常な秩序が破壊された。国務院は断固として動乱を制止し、北京市の社会の安定を守り、市民の生命と財産の安全を保証し、公共の財産が侵されることのないことを保障し、かつ、中央の国家機関と北京市政府の正常な職務の執行を保証するため、中華人民共和国憲法八九条一六項の規定に基づき、一九八九年五月二十日午前十時から、北京市の一部地域で戒厳を実施することを決定した、北京市人民政府は、実際の必要に応じて具体的な戒厳措置をとる」
  • 楊尚昆の内部講話を明らかにしたビラ
    楊尚昆の内部講話を明らかにしたビラ
  • 1997年秋の第13回党大会のひな段。最前列中央の趙紫陽総書記(右手をマイクに伸ばす)以外は第一線を退いたはずの長老たちばかり。鄧小平は趙の左隣)
    1997年秋の第13回党大会のひな段。最前列中央の趙紫陽総書記(右手をマイクに伸ばす)以外は第一線を退いたはずの長老たちばかり。鄧小平は趙の左隣)

戒厳令発令

   これを受けて北京市政府は「市政府命令一号」を陳希同市長名で発表。戒厳令の施行区域を郊外の農村地域を除く市の中心部に限定し、次のような禁止措置を盛り込んだ。

   (1)デモ、請願、授業ボイコット、ストおよびその他多数が集合して行う正常な秩序を妨げる行為。

   (2)デマをねつ造して流布させること、オルグ活動、演説・講演を行うこと、ビラを配布すること、社会の動乱を扇動すること。

   (3)党・政府・軍の指導機関に突入すること、ラジオ、テレビ、通信等の重要機関に突入すること、重要な公共施設を破壊すること、殴打、破壊、略奪、放火等の破壊活動。

   (4)在中国各国大使館および国連の在北京諸機関に対し、騒ぎを起こすこと。

   さらに北京市政府は、中国に滞在する外国人と内外のメディア関係者に対しては、「戒厳令に違反する行為や取材活動を禁止する」とする通告を発した。

   以上の禁令を真っ正直に受け入れれば、取材活動は事実上不可能だ。だが動員された戒厳軍は北京市外縁部で足止めされているし、パトロールする警察官が大幅に増員されたわけでもなかった。ただ『人民日報』など主要紙は「戒厳部隊指揮部の北京市民に告げる書」といった記事を一面トップに置くなど、編集方針がガラリと変わった。

   私は天安門広場通いや学生や労働者たちの宣伝ビラが多く張り出される王府井大通りや西単、東単など繁華街、それに西北地区の学生街などに足を運ぶルーティン取材を継続した。

   そんな戒厳令発令後のある日、王府井大通りだったと思うが、電柱に張り付けられたビラに目を吸い寄せられた。

   タイトルから判断すると中央軍事委員会副主席を兼務する楊尚昆国家主席が中央軍事委緊急拡大会議で行った内部講話の内容だった。戒厳令に際し、楊は解放軍を動員する責任者に任命されていた。

   こうした内部文書が表に出ることはめったにない。これは貴重な文書だぞと、早速メモし取り始めた。わら半紙3枚にわたり、全文を写し取るのは結構大変だと思っていたところに、ふと電信柱の脇に立つ男が、そのビラをたくさん持っているではないか。日本の記者だと名乗ると、1セットくれた。

   その夜、宿舎でじっくり読んだが、実に興味深い内容だった。戒厳令発令から5日目に軍幹部を前にした講話の要点整理で、末尾に「北大資料」とあり、北京大学の学生グループが発行したもののようだった。

なぜ長老たちが登場したのか

   全文は『AERA』緊急増刊号(89年7月10日号)に掲載したのだが、ここでは二つのポイントに絞って改めて紹介したい。

   なぜ80歳を超えた老人たちが前面に登場したのか。楊は語る――。

「数年来、八十歳を超えた何人かの老人たちが中央の事柄について一緒になって話し合ったのは今回が初めてのことだった。鄧小平、陳雲、彭真、鄧頴超、王震同志らは全員、退路はないと考え、退けば我々がつぶれる、中華人民共和国が崩壊し、そうなれば資本主義が復辟し......幾千幾万という革命烈士の鮮血であがなった成果がたちまちのうちに失われてしまう」

   革命第一世代に共通する「この国は、自分たちが作りあげた」という心情が吐露されている。

   もう一つは趙紫陽評価だ。

「五月十九日午前、趙紫陽同志は天安門広場に出向き、ハンスト学生を見舞ったが......第一に、彼は『我々が来るのが遅かった』といって泣きだした。第二に、『状況は大変複雑で多くのことはいま解決できない。あなたがたは若い。まだ道のりは長い。我々は年をとった。どうでもいい』などといった。こんな調子の低い、やましさのある話は、まるで自分につらいことがたくさんあって、言いたいことが言えないように思わせるものだ。その晩、北京市の党、政、軍幹部大会が開かれたが、本来彼は出席するはずだったのに来なかった......趙紫陽同志の仕事は、正直に言えば、我々が金箔をはって飾っていたのだ。ここ数年の成績は、実際は鄧小平同志が打ち出して政治局が決めたものであって、彼は実行したに過ぎなかった」

   趙自身は楊尚昆について「一番気心の通じた人物」と考えていた節があるが、権力闘争の敗者は、水に落ちた犬のように徹底的にたたかれるのである。(次回は「6・4へのカウントダウン」上)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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