2019年 9月 18日 (水)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(15)
政治空間としての天安門 (上)撤退か、留まるか

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   全国人民代表大会(全人代)の緊急会議招集の道も閉ざされ、天安門広場の運動は方向性を見失いかけているように見えた。

   北京の大陸的な気候も追い打ちをかけた。真夏のような烈日が照りつけたかと思えば、突如襲う暴風雨がテントを宙に巻き上げた。泥を含んだ雨を浴びた私は、安物ではあったが背広一着を台無しにしてしまった。

   地方の大学から「遅れてやってきた学生」が赤旗やのぼりを持ち込み、一見、広場は活気を取り戻したかのように見えた。だが精神的、肉体的ダメージが蓄積した学生たちの表情からは消耗していることが読み取れた。

   当時は知る由もなかったが、運動資金も底をついていたようだ。求心力を失いかけたリーダーたちは膠着状態を打開すべく、知識人の支援グループや労働者有志らと意見交換を重ねていた。

  • 天安門から消えたことがない毛沢東の肖像画
    天安門から消えたことがない毛沢東の肖像画
  • 人民英雄記念碑台座にはアヘン戦争以降の「人民戦争」と「人民革命」の犠牲者を記念するレリーフが刻まれている
    人民英雄記念碑台座にはアヘン戦争以降の「人民戦争」と「人民革命」の犠牲者を記念するレリーフが刻まれている

土壇場で覆された撤退案

   そんな最中に大胆な提案が飛び出した。

   座り込みを終了し、広場から撤退を――。

   学生リーダーの中で、その風貌からして冷静さが際立っているように見えた北京大生、王丹が提案者だった。

   5月27日夜、広場臨時指揮部が外国メディアも含めた記者会見を開いた。その席で「高自聯」「北京労働者自治聯合会」「首都各界愛国護憲聯合会議」など運動中に立ち上がった組織のいくつかを代表し、次のように提起した。

「5月30日に座り込みを打ち切り、天安門広場を引き払う」
「5月30日には北京全市で大規模デモを組織し、4月27日を公の記念日に定めるよう呼びかける」

   「4月27日」とは前日の『人民日報』が「動乱社説」を掲載し、反発した学生が空前の規模の抗議デモで答えた日である。(王丹『中華人民共和国史十五講』535頁)

   提案はいったん満場一致で承認されたが、後になって広場臨時指揮部の代表で総指揮の柴玲(北京師範大院生)や、彼女の夫で副指揮、封従徳(北京大院生)らが態度を変え、結局は実現しなかった。

   いまさらながらだが、もしかしたら「激突シナリオ」を回避できたかもしれない道は、学生たちの手で閉ざされたのである。

   土壇場で意見を翻した柴玲は「広場こそ私たちの唯一の拠点です。失えば保守が勝利するのです」と語り、封従徳は「なぜ広場にとどまったか? 目的は民衆を起こすこと。天安門は人民共和国のシンボル。そこで行動を起こせば、国民全体にアピールできる」と、反対した理由を説明している。

   これは米国のリチャード・ゴードン、カーマ・ヒントンが1995年に共同制作・監督したドキュメンタリー映画『天安門』(原題は「THE GATE OF HEAVENLY PEACE」)に記録された2人の発言である。

   そこからは現代中国政治における天安門広場の位置づけ、その政治的な象徴性がいかに重要なものであるかが読みとれる。

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