2019年 11月 22日 (金)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(16)
ある米国人ジャーナリストと柴玲 (上)「安全」な場所はどこに

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   1900年創業の北京飯店は天安門広場から長安街を東に約800メートル、王府井大通りとの交差点の西北角にでんと構えている。立地条件の良さから広場取材の外国メディアの拠点の一つにもなっていた。

  • 北京飯店に出た従業員らの「民主化運動支持」の垂れ幕。柴玲がすんなり入店できたのも、そういう背景があったからか
    北京飯店に出た従業員らの「民主化運動支持」の垂れ幕。柴玲がすんなり入店できたのも、そういう背景があったからか
  • この時、柴玲は何を考えていたのだろう=フィリップ・カニンガム提供
    この時、柴玲は何を考えていたのだろう=フィリップ・カニンガム提供

北京飯店に現れた「天安門のジャンヌダルク」

   この首都を代表する老舗ホテルの正面玄関に薄汚れた白のテニスシャツとベージュ色のズボンといういでたちの若い女性が現れたのは、戒厳軍がいよいよ武力鎮圧を実行に移す1週間前、1989年5月28日朝のことだ。

   平常時だと高級車やタクシーがひっきりなしに出入りし、ドアマンが忙しく動き回る正面玄関の車寄せも、戒厳令下で交通秩序が乱れていたためか、やや閑散としていた。

   小柄な日焼けした女性は街中ですれ違えば目立たぬが、高級ホテルの表玄関となればかなり視線を浴びそうだ。でもその朝はそうでもなかったようだ。そのままロビーを奥へ進むと、ちょうど訪ねようと思っていたフィリップ・カニンガムがやってきた。知り合いの学生Gと朝食に行くところだった。

「おぉ!チャイリン!よくここまで来られたね!」

   思わず驚きの声を上げたのは、目の前に現れたのがいまや注目を一身に浴びる広場の女性リーダー柴玲、その人だったからだ。

   北京飯店ロビーは私も北京勤務時代、誰もが知っているのと交通至便なので待ち合わせによく使った。だが、そこは避けたいという中国の友人もいた。政府系ホテルで監視の目が厳しいというのだ。

   そこへ、当局の黒名単(ブラックリスト)にすでに名が挙がっていたであろう「天安門のジャンヌダルク」が、いつもの格好でふらりと現れたのだから、驚いたのも無理はない。

   天安門事件では北京常駐の特派員のほか、欧米や香港メディアが多数の取材陣を送り込んでいた。日本からもフリーのカメラマンやリポーターが続々と乗り込んできた。

   私が取材中に知り合ったフィリップは、米ミシガン大学の中国史専攻の博士課程の学生で、当時、柴玲が在学する北京師範大学に研究留学中だった。ジャーナリズムにも関心を持ち、中国で流行り始めていたロックの有名ミュージシャンを主人公に、ドキュメンタリーの制作をしたりしていた。

   その確かな語学力と取材力が目にとまり、英BBC取材班の現地スタッフとして契約していた。流暢な中国語で学生とも信頼関係を築いていたようで、彼らの情報を的確につかんでいた。私も何となくウマがあい、一緒にコーヒーを飲みに行って、情報交換をしたりしていた。

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