2019年 9月 18日 (水)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(16)
ある米国人ジャーナリストと柴玲 (上)「安全」な場所はどこに

印刷
ロート製薬が開発した糀でできたクリーム。500円モニター募集!

   1900年創業の北京飯店は天安門広場から長安街を東に約800メートル、王府井大通りとの交差点の西北角にでんと構えている。立地条件の良さから広場取材の外国メディアの拠点の一つにもなっていた。

  • 北京飯店に出た従業員らの「民主化運動支持」の垂れ幕。柴玲がすんなり入店できたのも、そういう背景があったからか
    北京飯店に出た従業員らの「民主化運動支持」の垂れ幕。柴玲がすんなり入店できたのも、そういう背景があったからか
  • この時、柴玲は何を考えていたのだろう=フィリップ・カニンガム提供
    この時、柴玲は何を考えていたのだろう=フィリップ・カニンガム提供

北京飯店に現れた「天安門のジャンヌダルク」

   この首都を代表する老舗ホテルの正面玄関に薄汚れた白のテニスシャツとベージュ色のズボンといういでたちの若い女性が現れたのは、戒厳軍がいよいよ武力鎮圧を実行に移す1週間前、1989年5月28日朝のことだ。

   平常時だと高級車やタクシーがひっきりなしに出入りし、ドアマンが忙しく動き回る正面玄関の車寄せも、戒厳令下で交通秩序が乱れていたためか、やや閑散としていた。

   小柄な日焼けした女性は街中ですれ違えば目立たぬが、高級ホテルの表玄関となればかなり視線を浴びそうだ。でもその朝はそうでもなかったようだ。そのままロビーを奥へ進むと、ちょうど訪ねようと思っていたフィリップ・カニンガムがやってきた。知り合いの学生Gと朝食に行くところだった。

「おぉ!チャイリン!よくここまで来られたね!」

   思わず驚きの声を上げたのは、目の前に現れたのがいまや注目を一身に浴びる広場の女性リーダー柴玲、その人だったからだ。

   北京飯店ロビーは私も北京勤務時代、誰もが知っているのと交通至便なので待ち合わせによく使った。だが、そこは避けたいという中国の友人もいた。政府系ホテルで監視の目が厳しいというのだ。

   そこへ、当局の黒名単(ブラックリスト)にすでに名が挙がっていたであろう「天安門のジャンヌダルク」が、いつもの格好でふらりと現れたのだから、驚いたのも無理はない。

   天安門事件では北京常駐の特派員のほか、欧米や香港メディアが多数の取材陣を送り込んでいた。日本からもフリーのカメラマンやリポーターが続々と乗り込んできた。

   私が取材中に知り合ったフィリップは、米ミシガン大学の中国史専攻の博士課程の学生で、当時、柴玲が在学する北京師範大学に研究留学中だった。ジャーナリズムにも関心を持ち、中国で流行り始めていたロックの有名ミュージシャンを主人公に、ドキュメンタリーの制作をしたりしていた。

   その確かな語学力と取材力が目にとまり、英BBC取材班の現地スタッフとして契約していた。流暢な中国語で学生とも信頼関係を築いていたようで、彼らの情報を的確につかんでいた。私も何となくウマがあい、一緒にコーヒーを飲みに行って、情報交換をしたりしていた。

単独インタビューに成功

   現在は米ニューヨーク州に住む彼と時折メールを交換する。上記の柴玲との出会いの詳細も、30年後に初めて詳しく知った次第である。

   フィリップが関わった天安門報道で最も重要なのは、ほかでもない5月28日午後に密かに収録された「柴玲単独インタビュー」である。

   彼女の断片的な肉声は他にも伝えられているが、長時間の本格的なインタビューに成功したのはフィリップだけだ。海外脱出後は発言を控え、インタビューにも応じていないので、いまのところは「唯一の証言」といっても過言でないだろう。

   この貴重なインタビューが実現した経緯を、まずはフィリップの記憶と彼が事件20周年に著した『Tiananmen Moon』(英語版)などから再現してみたい。

   北京飯店で柴玲と出会い、まず考えたのは「ここではまずい。目立ち過ぎる」だった。メディア関係者だけでなく、公安関係者もうろつく空間である。行く先に当てはなかったが、タクシーで街に出た。西の広場方面の長安街は走りにくい。とにかく東北方面に向かってくれと運転手に指示した。

   車内には運転手以外に4人。後部座席にフィリップと柴玲、そしてもう一人はホテル玄関で柴玲に気づき、無理やり割り込んできた香港の女性記者。助手席にG。彼は運動に参加したくて地方から北京にやってきた若者だ。

   タクシーはGの指示で警察のチェックポイントなどを巧みに避け、労働者体育場から外国公館が立ち並ぶ街の三里屯などをひたすら走った。

   車内でインタビューができるかもしれないと、フィリップはテープレコーダーとカメラを持っていたが、騒音が予想以上だったのと、タクシー内にも盗聴装置がある可能性を考えて断念した。

   柴玲は出会った際に「話したいことがある」と言ったきり、車内では無口だった。表情も険しい。Gがフィリップのオリンパスカメラを受け取り、後部座席の写真を撮った。これがその時のスナップ。思いつめたような柴玲が印象的だ。

   その直後、柴玲が紙切れに何か走り書してフィリップに渡した。

「多分、私の最後の発言の機会になるでしょう。それをフィリップに託したい。私のメッセージをすべての華人に伝えてほしい。 10時25分」

   最終的に安全にインタビューできる場所として思いついたのは、北京東郊の外国人用マンションにある知人宅だった。「外国人専用」という標識がある高級マンションは出入りがチェックされるが、タクシーで敷地内に乗りつければなんとかなるだろうと決行した。

   幸い玄関のガードマンが持ち場を離れており、とがめられずにエレベーターに滑り込んだ。上層階の知人宅に到着して事情を話す。夫は留守だったが「尋常な事態ではないのです」とのフィリップの一言で、勘のよい妻Hはすべてを飲み込んでくれたようだ。柴玲に飲み物を用意して気分を和らげるなど、何かと気を配ってくれた。

   インタビューを始めようと思ったが、そうだポケットサイズのテープレコーダーとカメラはあるが、ビデオカメラがない。それも一家のものが借りられた。幸いなことに2時間分が充電されていた。

   この収録テープを私も後日見る機会があったが、画面に何本も線が走り、画質、音声ともひどかった。海賊版コピーだったのだろうが、どう見てもプロの仕事ではなかった。

   それもそのはずだ。収録したのはカーテンを閉めた子供の寝室。柴玲がベッドに腰かけ、その横でフィリップがテープレコーダーを回して質問する。それを他の3人が補佐する。ビデオカメラを回したのはHだった。

   何回かやりなおしをして、皆のタイミングがやっとそろってきてインタビューが始まる。終始言葉少なだった柴玲が、やっと口を開いた。

「これが私の最後の話になるかもしれません。なぜなら現在の情勢はますます厳しくなってきました......」
加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

今すぐ無料会員に登録して、コメントを書き込もう!
姉妹サイト
    loading...
お知らせ

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中