2019年 3月 22日 (金)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(16)
ある米国人ジャーナリストと柴玲(下)ある発言が波紋を呼んだ

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   インタビューで柴玲は自己紹介から始めた。

   私は今年23歳。とても不思議ですが誕生日は胡耀邦が亡くなった日(4月15日)です。出身は山東(省)で、83年に北京大学に入学して心理学を学び、87年から北京師範大学大学院で児童心理を研究しています。

   ――運動との関わりについては、こう答えた。

   私は4月22日(胡耀邦追悼大会開催)に立ち上がりました。李鵬(首相)に会見に出てくるよう、追悼大会に参加させるよう求めましたが回答を引き延ばすだけ。憤慨した学生たちが人民大会堂に突入しようとした時に、代表3人が(人民大会堂の階段に)跪き(恥ずべき政府に)懇請する事件が起きた。私はもう堪えられなくなり、立ち上がりました。......夫の封従徳(北京大院生)も血書を書こうとしたが、書き終わる前に血が出なくなってしまい。周りの学生は皆泣いていました。

   それから北京大学の(学生自主組織の)準備委員会に参加し、若干の仕事をやりました。多くの仲間は熱い血を持っていましたが、個人的な目的を持つ者や、虚栄心から動く者もいました。

   ――運動中の思いを様々に語り、家族のことにも触れた。

   一番つらいのは父母に申し訳ないという気持ちです。父は5月1日に北京にやってきた。(88年の封従徳との)結婚をめぐり、感情的にもつれ、ケンカもしていたので、私のことを気にかけていたと思う。我々が北京大学の組織で運動に参加することが心配で、家に帰るべきだと言いました。最後に、連絡を絶やすなというので、3日ごとに電報で知らせる、万一電報が届かなくなっても北京には来てくれるなと伝え、泣く泣く別れました。医科大学で学び、医師をしていた父は心血を注いで私たちを育ててくれたのに......。

  • インタビューを中国語で起こした記録。北京飯店のロゴ入り用紙を使っている
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なぜ柴玲は北京飯店に現れたのか?

   以上は私の手元に残っていたインタビューを文字起こしした記録のコピーによった。それは北京飯店の客室に備えつけ用紙を使っているので、多分フィリップから入手したものと思うが、どうも記憶がはっきりしない。

   6月4日未明、眼前で装甲車が炎上している天安門楼閣の下でフィリップと遭遇した。その時、彼は未現像のフィルム3本を私の手に握らせた。「自分は使わない。使ってくれ」と託されたと記憶するのだが、それをフィリップにメールで尋ねると、全く覚えていないという。やはり30年という時が流れたのだ。私も彼も記憶はまだら模様だ。

   何点か補足する必要があろう。▽なぜ柴玲がリスクを冒して北京飯店に訪ねてきたのか。▽ビデオテープは放送されたのか、その後どう扱われたのか。▽インタビュー後の柴玲の行方へは――などだ。

   実は2日前の26日にもフィリップは柴玲と出会っていた。BBCクルーと柴玲を探して広場の指揮部をめざした。学生の検問が厳しかったが、幸いにも顔見知りのGがいて、しかも「柴玲が話したがっている」との朗報をもたらした。

   現れた柴玲とディレクターが英語で会話しようとしたが、柴玲は英語が不得意なのか、話したくなかったのか、うまくかみ合わない(フィリップによるとBBCは英語取材優先だったという)。ディレクターはインタビューをあきらめ、カメラマンとその場を離れてしまった。

   当惑した表情の柴玲にフィリップが中国語で語りかけ、2人が同じ北京師範大に所属していることなどを話題にするうちに、彼女もフィリップを相手にしてもいいと思ったのか、「また別の所で会おう」ということになった。その日は時間が無かったのだ。連絡先を問われ北京飯店の部屋番号を伝えた――そんな経緯があったという。

   その日の短い会話で、柴玲は小声でこんな話をしたという。

   運動は危険なターニングポイントにある。北京の学生は疲れ、内部矛盾もある。運動をつぶそうと言う陰謀がある。誰を信じていいかわからないの。

   「罠かもしれないけど」と断った上だが、あるリーダーに外国の大使館が亡命を受け入れると持ちかけている、ともいった。広場のリーダーとして柴玲が強いプレッシャーを感じていた、とフィリップは回想する。

   28日は、フィリップは前日にBBCから契約をいったん解除(後に再び契約)されてフリーだった。それまでは北京師範大学の宿舎を拠点にしていたが、10日ほど前からポケットマネーで北京飯店に部屋をとっていた。

   こんな事情があったので、「天安門のジャンヌダルク」の貴重なインタビューはBBCではなく、米国のABCテレビが独占放送することになった。5月20日の戒厳令後、北京からの外国メディアの衛星中継はできなくなっていたので、テープは国際便の乗客に託して持ち出し、放送にこぎつけた。

   それから6年後の1995年、フィリップによる柴玲インタビューに再び注目されたことがある。

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