2019年 12月 15日 (日)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(19)
天安門の蟻たち (下)作家が残した記録画

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入院中に描いた記録画

   描き直したのは帰国後の6月19日前後。どこで筆をとったか。それは東京・世田谷の国立東京第二病院(現・国立病院機構東京医療センター)の集中治療室でだった。

   実は、水上は帰国直後に心筋梗塞の発作を起こし、救急車で運び込まれた国立病院で緊急手術を受けた。心臓の3分の2が壊死する重症で一時は「危篤説」も流れるほどで、入院生活は39日間に及んだ。

   天安門事件の衝撃の大きさ。代表団長としての責務。訪中前にもインドや中国の旅行を重ねていたこと。そして7日未明に帰着した羽田空港でメディアや出迎え客にもみくちゃにされたことなどで、心臓への負担が限界を超えたのだろう。

   主治医から「6月14日に執筆許可が出た」(同書95頁)といい、故郷の越前の竹の繊維で自ら漉いた「竹紙」と日本画の絵具を家族に持ってこさせ、点滴針を指した腕で描いたのが、これらの記録画だった。全部で12、3枚ほど残されており、大部分はA4より少し大き目の竹紙に描かれている。

   水上は今年3月8日が生誕百年だった。これを記念して、誕生日の前後の1週間、京都・寺町通のギャラリー「ヒルゲート」で記念展があり、天安門事件30周年と重なったことから、記録画が9点も展示されたのだ。

   京都に拠点を持っていた水上は「ヒルゲート」とは縁が深く、1988年の開店後しばらくの展覧会は、水上が毎回自作の絵や焼き物を出品し、表の看板も自ら筆をとるなど応援していた。

   こうした縁から、1995年6月のギャラリー開店7周年展に水上は初めて天安門の記録画を数点出品した。

   その際、ギャラリーに寄せた手紙が生誕100年記念展で展示されていたが、そこにはこんなことが記されていた。

「みな初出です。点滴をされながら描いたものなのでなつかしいです。歴史は記憶しなければいけないと思う年令になりました。忘れてもいいことですが、メモを材料に私が歴史を記憶しようと一生けんめいだった証しを見て下さい」

   そして手紙は「一九九五年六月四日」という日付で結ばれていた。

   この「六月四日」と書き込んだところに、事件は記憶されるべきだという、作家の強い思い入れが感じとれるように思う。(終)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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