今なぜフォーク・ミュージック? 伊達孝時が歌う等身大の自分


伊達孝時
『どーも。』
TECI-1278
2800円
3月3日発売
テイチク エンタテインメント


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   最近の、ことにJ-POPを聴くにつけ、妙な違和感がある。

   それは、決して悪い事だと言うのではなく、一般的にはむしろ良い傾向と受け取られているだろう事に感じる違和感。人生の応援歌、勇気の出ない時にちょっと背中を押してくれる曲、前向きに生きようと語りかける曲……最近のJ-POPにはそんな歌が多い。音楽の一つのありようとして、この「前向きな応援ソング」というスタンスは、ありだとは思う。だが最近はラジオやTVでオンエアーされる曲の大半が、この「前向きな応援ソング」のような気がしてならないのだ。なにか偏っている。世の中には、そんなにへこたれている若者が多いのかと思ってしまう。

   これはあくまで筆者個人の考えだが、世の中はある種のバランス感覚が支配していると思う。それは、個人・社会の別なく、マイナスに振れればプラスの力が働き、プラスに振れればマイナスの力が働き、中庸に戻そうとするようなバランス感覚。このバランス感覚を失った個人、社会、国家はいずれも自分自身違和感を覚えながらも、崩壊していく。その最たる出来事が、戦争であったり、日常的に起きる殺人や自殺という行為だろうと思う。こまかな説明は省くが、昨年、民主党が政権を奪取したのも同じ原理だろう。

   最近のJ-POPで「前向きな応援ソング」ばかりが突出しているということの裏側には、それで帳消しにしようという、どこかに後ろを向いた負の力が働いているわけで、まずそのことに注意を払わなければならない。そして次に、音楽全体の中で「後ろ向きの音楽」というスタンスで音楽と向き合うミュージシャン・アーティストも必要だと言う事を再認識しなければならない。もちろんそういう印象を与えるミュージシャン・アーティストは今でもいる。猫も杓子も「前向きな応援ソング」では、あまりにバランスが悪すぎる。人生の深い部分の悩み、悲しみ、苦しみを歌にする事は間違った事ではないのだ。

   そういう意味で、伊達孝時というネオ・フォーク・シンガーの作品は面白い。決して後ろ向きでは無いのだが、前向きでもない。等身大の自分の居場所を歌にしている。まだ、自分の向かう方向も判然としていないのかもしれないが、22歳の若者の言葉は結構ストレートに響く。

   2月3日にシングル「青春なんて」、3月3日に2ndアルバム『どーも。』をリリースした。今の時代にフォークって、という向きもあるかもしれないが、伊達のフォークはありだ。ギターもうまい。これからさらに自分なりのスタンスを確立していければ、大きなアーティストになるだろう。<モノウォッチ

加藤 晋


【どーも。  収録曲】
1. 風が吹くまま
2. 一週間
3. 青春なんて
4. 前髪とランチ
5. もしも
6. いつか
7. それでも生きていたい
8. 幸せなんだ
9. 時代
10. どうにかなるさ
11. ハミング

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