霞ヶ関官僚が読む本
江上剛氏の「俺、まだやれる」に共感 マラソンがくれた生きる勇気と脱メタボ

   海外勤務を終えて帰国後の人間ドックの数値に驚愕し、ジョギングを始めてから10年以上になる。とはいえ数年前までは、ランニング後のビールを楽しみに、週末、わずかな距離を走る日々が続いていた。しかし、ここ数年、公私ともにシビアな状況が続く中で、かえって、真剣に走るようになり、無謀にも、マラソン大会にも出場するようになった。

   『55歳からのフルマラソン』(江上剛、新潮新書)。書店で、「苦境からの脱出、そして挑戦のドキュメント!」と帯にあるのを見て、早速、購入。一気呵成に読み終えた。

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ランナー歴なしの中高年にこそ効用多し


『55歳からのフルマラソン』

   著者の江上氏が走り始めたのは、日本振興銀行の経営破綻処理の渦中。社外役員としての立場から一気に代表取締役として破綻処理の全責任を負うという過酷な状況の中、ご近所の知り合いからマラソンを誘われたのがきっかけだった。

   毎週月、水、土の朝5時から中高年男女の有志が10キロ~15キロを走る(結構、ハードなメニューだ)。ランナー歴がない上に、作家+社長を兼業する江上氏は、体力面だけでなく、時間的に大丈夫かと心配したそうだが、案ずるより産むが易し。「走って、汗をかき、風呂に入ると、頭がすっきりして、仕事がはかどることが分かった」という。

   本書では、長年、運動とは無縁だった中高年がマラソン(ランニング)を続けることで得られるメリットが様々なエピソードとともに語られる。以下、主なものを列挙すると、

(1)仕事以外の自然な付き合いができる

   同走の士は、近所のサラリーマンのほか、主婦、ジャーナリストなどさまざま。「女房は、近所付き合いのプロだが、僕はどちらかというとダメな方だ。こうして近所の人と話しながら、走っているのが信じられない」、「仕事の人間関係は上下関係で、仕事を続けてさえいれば、自然と出来上がる。一方、近所の人間関係は、自分で努力して作らねばできない」。

   江上氏は、日本振興銀行の破綻問題で連日、メディアに登場する状況の中で、この朝の1時間半の隣人との交流が何よりも大きな救いになったと書いている。

「自分が特別、大変なんじゃない。みんな、大変なんだ。だけどこうして健気に、明るく生きているじゃないか」、「おい、そう深刻ぶるな、お前だけが悩んでいるんじゃない」、「自分の悩みが相対化されていく。客観視できた、と言ってもいいだろう。マラソンが、私を救ってくれたのだ」

半年で8キロ減量

(2)メタボを克服し、健康を取り戻す

   マラソンを始める前の江上氏は、完全にメタボだった。その上、睡眠時無呼吸症を患っていたという。それが、マラソンですっかり克服。身長170センチ、体重80キロだったのがマラソン開始後、半年で72キロに減量できたとのこと。摂取カロリーが同一なら、月間140キロ走れば、毎月1キロづつ減量できる計算になるそうだ。ちなみに体重が1キロ減ればマラソンのタイムは3分縮まるという。

(3)青春の思い出に浸りながら主役になれる

   江上氏は、マラソン開始から1年経たないうちに、憧れの東京マラソンを経験している(評者は、東京マラソンがスタートして以来、毎回、応募しているが、残念ながら一度も当たったことがない)。

「田町、大手町、築地と自分が勤務してきた街を走って来たと思うと、なんだかジンと来て、涙が出そうになった。東京マラソンというのは、東京で過ごした青春を確認しながら走るマラソン」、「ランナーは、沿道の人、一人一人から自分が注目されていることを自覚して走り続ける。それはまるで舞台に立ってスポットライトを浴びているような快感なのだ」

「心からの応援歌が欲しいのだ」

   本書を通じて、繰り返し語られるマラソンの最大の効用は、「俺、まだやれる」と自信がつくことだ。特に、厳しい状況にあるときほど、マラソンから教えられることは多いし、大きい。

   「このまま、どうなってしまうのだろう――正直、不安で不安でたまらなかった。暗く考えれば、どうしようもなく暗くなる。そのうち電話の音が鳴ると、心臓がキュウと締めつけられるように痛むようになった。しかし、私はそれを振り払うように毎朝、走っていた。走らないと、たまらなかったのだ」。

   共に破綻処理に携わってきた社外役員の同僚が自殺した。「誰でも、生活基盤を大きく揺るがすような事態に直面すると、どこかに消えてしまいたいという気持ちになる。死んだら楽になれる――そう思う時があるのだ」、「気がつくと、我が身は電車の車輪にずたずたに切り裂かれているのだ。遺書もない。人は覚悟して自殺するのではなく、ほんの軽い思いつきで、今の苦しみ、悩みを解消したくて死を選ぶのではないか」、「うつ病になってもおかしくない状況でマラソンに救われた。同じリズムを刻んで走ると、脳が適度に刺激され、心が落ち着いてくる」。

   「若者も私たち初老の人間も、誰もが彼もが閉塞感と絶望の前にたたずんでいる。心からの応援歌が欲しいのだ。そんな時、マラソンを走ってみると、42.195キロという、なんだかとても中途半端な距離なのだが、それが人生のように思えてくる」、「諦めるな、ゴールは近い、みんなガンバッテルじゃないか――自分への応援歌が聞こえてくる。スタートがあり、必ずゴールがある。この道をずっと進めば、必ずゴールがあるのだ」。

「必ず来るゴール」の達成感

   実生活ではゴールは見えないことが普通だ。特に、このご時世、実績を上げるのが難しいだけに、仕事で日々、達成感を得ることは至難だ。しかし、マラソンは違う。足を動かし続ければ必ずゴールが来る。忍耐の先には、この達成感がある。

   「走っている間、これまでの人生を振り返ったりする。仕事のストレスをどう克服したらいいのか、そんな思いもよぎる。とても越えられそうにない坂を目の前にすると、あれを越えなければ人生の脱落者だ、と考えたりする」、「やがて疲れがピークに達すると、今度は何も考えられなくなる。とにかく足を動かせ、ゴールは近い、と言い聞かせる。無心に近い状態になる。そしてゴールした時の、何とも言えない解放感」、「やったぞ!! まだ、生きている。俺、まだ頑張れる」。

   ちょっと元気が出る一冊。マラソンデビューで「俺、まだやれる」を感じてみませんか。

厚生労働省(課長級)JOJO

   J-CASTニュースの書籍サイト「BOOKウォッチ」でも記事を公開中。

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