霞ヶ関官僚が読む本
「財政」から語る社会保障改革 シビアな未来予想図、「現実解」をどう求めるか

「社会保障亡国論」(鈴木亘著 講談社現代新書)

   本書の帯には、「消費税10%でも『焼け石に水』という現実」、2050年の「消費税率は30%超、国民負担率は70%超」、「日本の社会保障は純債務1500兆円を抱えている」、「1940年生まれと2010年生まれの(世代間損得の)差額は8580万円!」など、目を引く数字が並ぶ。

   本書は、人類史上、経験のない少子高齢化に直面する日本において、思い切った社会保障改革が行われず、社会保障費の拡大により財政危機を招きつつあることに危機感を抱く著者が、怒りを込めて、抜本的な負担の引上げと給付削減を訴えた本。タイトルの過激さに目を引かれ、手に取った。

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「"このまま"やっていけるはずがない」


社会保障亡国論

   50年後(2060年)には、赤ちゃんの数は今の半分以下、人口は9000万人を割り、10人に4人が高齢者になる。想像がつかないかもしれないが、今の出生率や寿命が続けば日本社会は確かにそうなる。その時、年金や医療、介護などの社会保障はどうなっているのだろうか。「このままやっていけるはずがない」、多くの者がそんな漠然とした不安を感じている。

   著者は、「財政的な持続可能性」と「世代間公平」の確保の2点を目的として、社会保障改革を進めるべきと語る。その処方箋のポイントは以下の5つ。

①負担の引上げ(財源の確保)は、消費税増税ではなく、新型相続税の創設など高齢者の資産から財源を得る仕組みを導入する。
②給付抑制と効率化に向けて、低所得者対策の範囲を超えて、中高所得者層に対しても投入されている膨大な公費(税金)を圧縮。社会保険制度を自己負担と保険料で賄う仕組みへと純化させ、国民のコスト感覚が発揮される制度へと転換する。
③現役世代から高齢世代への所得移転の仕組み(賦課方式)を、早急に積立方式に転換。今のうちに積立金を確保し、高齢化のピークに備える。
④医療・介護や保育などサービス供給を伴う分野において、価格の自由化や参入規制の撤廃など規制改革を徹底する。
⑤「貧困の罠」を生み出す生活保護について、稼働可能な層については、高齢者等とは別の制度を設けるとともに、就労積立制度や最低賃金の減額措置の導入により、自立への意欲が高まる制度へと見直す。

   以上の指摘は、著者自身が述べているように、経済学の視点からすれば、目新しいものではなく、最近書店で目にする様々な書籍で、相当数の経済学者が同趣旨の主張を行っている。

経済学者が言う改革の実施で、本当に良い結果が期待できるのか

   本書を読みながら、「財政」や「経済」の視点から社会保障を眺めれば、こう見えるのかもしれないなと思いつつも、正直なところ、違和感が拭えない。本当にこうした改革を実行すれば、著者が想定するような結果をもたらすのであろうか。

   本書では、「自由価格」、「参入規制撤廃」など、市場メカニズムへの期待が語られているが、医療や介護分野において、自由化が進んでいる米国の実情を見る限り、むしろ高コストであり(米国の医療費の対GDP比は17.6%と日本の約1.9倍)、経済的弱者にとっては住み心地のよい国とは決していえない。確かに各論でみれば更なる自由化の余地もあるとは思うが、素朴な自由化論がもたらす弊害を甘くみてはならないだろう。

   また、国際的にみると、高福祉とはいえない日本において、どこまでの給付削減・効率化が国民に受け入れられるのか、率直なところ自信が持てないという思いもある。

   本書では、社会保障改革の数少ない成功例として、小泉政権時代に行われた毎年2200億円の社会保障予算の削減が取り上げられている。確かに、その当時は、一定の財政効果を上げたが、その後はむしろ、「医療崩壊」の元凶とされるなど、否定的に受け止められ、結果として、小泉改革は、負担増や給付削減へのトライをためらわせる象徴となっている。

   こうした事情に思いを致すと、「財政の将来」と「後世代の負担」を憂う著者の思いは理解しつつも、その提案が「現実解」となるかについては疑問がある。

改革は避けられない どうやって合意を得るかが最大の課題

   しかし、日本の置かれた状況は、改革の痛みをおそれて、足をすくめていられるような甘いものではない。

   本書が提案するような改革案が適当かどうかは別として、高齢化に伴って必要となる財源を確保するために税や保険料を引き上げるとともに、中高所得者や資産保有者には、給付を我慢していただくことも避けて通れないであろう。その意味で、現行制度のように、高齢者であれば誰でも一律に給付するという仕組みを見直し、所得や資産水準に応じて給付を変えたり、あるいは資産課税の強化といった財源対策も必要となろう。

   問題は、その際、どうやって政治的な合意を得るかである。

   著者は、トップダウンで改革を断行するほかないという。

   「結局、小泉政権時代のように、①国民に対して分かりやすく首相自らが話して指示を取りつけた上で、②担当官庁を超えた『経済財政諮問会議』のような首相直轄の組織が、給付と負担の両面の財政全体を見渡したコーディネートを行い、③首相本人が改革に向けて強力なリーダーシップを発揮する」しかなく、「誰かが損をするような『痛みを伴う抜本改革案』を実現するには、トップダウンで物事を決め、現状を変えたくない官僚機構と業界団体をねじ伏せて事を進めるしか」ないとする。

   確かに、「郵政民営化」や「道路公団改革」など、改革に関する国民的な支持があり、古い体質の業界を相手にするような分野では、こうした攻撃的な戦略も有効であろう。しかし、社会保障分野の場合には、業界のみならず、実際の受益者たる国民が存在する。国民に更なる自己負担を求めたり、給付の削減を受け入れてもらわなくてはならないのだ。

   今後数十年にわたって続く少子高齢化を考えれば、社会保障改革は一回限りではない。また、政権が変わる度に、コロコロとその内容を変更できるものでもない。したがって、国民的な支持(納得)がない限り、時の政権がゴリ押ししても、改革は継続せず、混乱だけが残ることとなる。

   スウェーデンの年金改革をはじめ、負担増・給付減を実現した改革を見る限り、粘り強く国民合意を得ていくことが、その後の制度定着につながっている。

   回り道のように見えるかもしれないが、改革を実現するためには、まずは、①社会保障も財政も極めて危機的な状況にあり、改革が不可避であることについて、国民が認識を共有できる環境をつくることであり、その上で、②政治プロセスにおいて、むやみに「敵」「味方」を区別し「対立」を煽るのではなく、党派を超えて「合意」を得るというアプローチに徹することではないだろうか。

厚生労働省(課長級)JOJO

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