霞ヶ関官僚が読む本
科学技術イノベーションと産業政策 政府は何をしたらよいか

「産業政策の経済分析」 (伊藤元重・清野一治・奥野正寛・鈴村興太郎著 東京大学出版会)

   経済理論は、政策の原理原則を示してくれるものである。経済理論は、モデル化して単純に説明しているため、現実性がなく無意味という批判もあるが、経済事象の本質を考えるうえで重要な指針を与えてくれる。

   科学技術イノベーションは、経済成長のエンジンである。この考え方は、閣議決定文書である「日本再興戦略」や「科学技術イノベーション戦略2014」でも勘案されているものである。科学技術イノベーションの創出は、少子高齢化の中で、高付加価値社会を目指す我が国にとって不可欠な政策課題の一つである。科学技術イノベーションを効果的かつ効率的に経済成長につなげるためには、政府は、何をしたらよいか、又は何をしてはいけないか。政府が講ずることのできる政策手段としては、制度改革、予算措置等様々なものがあるが、何が効果的かつ効率的か。政府が関与する以上、市場に大きな影響を及ぼすため、政策判断は、原則、補完的かつ比例的でなければならない。経済理論はその検討のための原理原則を教示する。

   遠い大学生時代に読んだ、伊藤元重・清野一治・奥野正寛・鈴村興太郎著「産業政策の経済分析」(東京大学出版会 昭和63年5月初版)は、研究開発と産業政策に関する単独の「部」が設けられている。

「産業政策の経済分析」 (伊藤元重・清野一治・奥野正寛・鈴村興太郎著 東京大学出版会)
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経済活動と異なる研究開発活動、市場メカニズム補完が重要

「コンピュータを始めとする新しい情報化社会のうねりは、技術の変化・革新の速度を速め、企業レベルでも産業レベルでも、また一国レベルでも世界経済レベルでも、研究開発活動の重要性を一層増大させている。しかし、研究開発活動は通常の経済活動と極めて異なった性質をもっており、私的インセンティブによる市場取引だけでは、研究開発活動に伴う最適な資源配分を実現できない多くの要因が存在する。したがって、研究開発・習得活動が社会的に最適な形で行われるよう市場メカニズムを補完することは、その国のみならず、世界全体の経済厚生にとって、重要な政策課題なのである」(第16章 P210)

   研究開発活動について、市場の失敗が生じ、その市場メカニズムの補完が経済厚生にとって重要な政策課題と指摘している。ただ、国が関与する根拠が示されているが、政府が市場に介入して、かえって市場にマイナスに影響しては元も子もない。個別にどの分野やどの課題に取り組むべきかという政策判断のほか、どのような政策手段を講じるべきか、慎重に検討しなければならない。ターゲットとする分野について、基礎・応用・開発等の研究開発のリスク及び社会的公益性、成功した場合の研究開発投資の私的な範囲での回収の見込、開発すべき時間軸、研究開発研究人材の官民の分布、開発後の実用化・事業化に当たっての投資額の大きさ(参入の可能性)等々をもとに、適切な政策手段を検討する必要がある。

様々な政策手段候補からの最適な選択 そのための政策企画者の役割

「研究開発活動に対する政策的介入としては、大別して4種類のものが考えられる。①特許制度・著作権などの知的財産権を保護するための各種の法制度、②国立大学・国立研究所・その他の機関を通じて政府自らが行う研究開発活動、③各種の研究開発に対する補助金・利子補給・税の減免制度などを中心とする、民間部門に対する助成・援助政策、④民間企業を糾合した研究開発組合の結成援助と、それに対する助成・援助政策がそれである」(第20章 P253)

   同書では、様々な政策手段とそれに係る課題とその解決方策を示している。例えば、補助金に伴うモラル・ハザードの問題の解消の方法については、「成果の如何にかかわらず支払われる定額補助金ではなく、何らかの基準から見て、成功したときには失敗したときより額が大きくなるような、いわば歩合制度を導入すべきである。また、開発に伴う不確実性が小さく成功することが確かなときには、成功しなければ補助金を払わないペナルティの制度を導入することも、モラル・ハザードを排除する上で有効であると思われる」(第20章 P257~258)としている。ここで、研究開発の成功、失敗を見極めることは一般的に難しい。しかしながら、取り組むべき研究開発の内容や課題を因数分解して、可能な限り具体的な基準や数値を設定することができれば、理論が教えるところの厚生が確保できる。まさに、そこに政策企画者としての知恵を出す必要、政策企画者としての役割がある。

国家経済戦略に高まる比重 政策判断が求められる開発の順位付け

   最後に、研究開発については、市場メカニズムの補完だけでなく、国家経済の戦略的な観点の色彩も強くなってきている。

「経験やR&Dが重要な意味を持つ産業では、他の企業に先駆けて大量の生産を行い多くの生産経験を積んだ企業が競争上優位に立つことになる。資源配分の効率性という観点からは規模の経済性を生かし生産費用を下げていくことは望ましいことであるから、限られた数の生産者が十分な生産規模を確保し経験を蓄積することが重要となる。この限りでは、どの国が生産を行ってもかまわないのであるが、電算機、半導体、航空機などの先端産業は、そのような産業を国内にもつか否かがその国の将来の経済発展に大きな影響を及ぼすから、各国がそれを自国にもとうとする。ここに各国間に極めて激しい利害の衝突が生じる原因がある。」(第20章 P253)

   冷戦末期の昭和63年当時に比べて、各国が遠慮なく、場合によっては、品がなく、露骨に利害を激突させるようになったグローバル化の現在においては、先端産業の存立・発展が国益に及ぼす影響は大きい。政府は、効果的かつ効率的な観点からの判断だけでなく、国家としての戦略的な観点、他国との競争や協調の観点から、政策的に関与すべき研究開発分野の順位付けの判断も求められている。その判断に当たっても、経済成長理論等に基づく原理原則の適用が重要であると考える。日々勉強は続く。

<経済官庁 J>

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