豊田社長も"参戦"した豪州走破 トヨタ「もっといいクルマづくり」精神の発露

   最近では世界初の量産型燃料電池自動車(FCV)「ミライ」を送り出すなど、トヨタ自動車は業界のリーダーとして走り続けている。それを支えているのは「もっといいクルマづくり」のスピリットだ。トヨタのマーケティング活動を担うトヨタマーケティングジャパンでは、このスピリットを伝えるコミュニケーション活動「TOYOTA NEXT ONE(トヨタ・ネクスト・ワン)」を展開中。このなかの「豪州大陸走破プロジェクト」では、トヨタ自動車の豊田章男社長が自らハンドルを握り、「リーダーの思い」をほとばしらせている。

豪州走破プロジェクトで自らハンドルを握ったトヨタ自動車の豊田章男社長
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コミュニケーション活動「TOYOTA NEXT ONE」

   「豪州走破プロジェクト」は、計2万キロ以上に及ぶオーストリアの道を、トヨタの技術部門を中心に選ばれた41人の従業員が3チームに分かれて走った記録だ。

   「チーム1」は14年9月3日に同国南東の都市、メルボルンから西に向かって出発。南西部のパースでパトンを受けた「チーム2」は、一路北上のコースをたどって、中央北部のダーウィンから南下。大陸のほぼ中央部にあるアリス・スプリングスで「チーム3」に残りを託した。

   チーム3はさらに南下のあと北上。北東部の都市、マウント・アイザの辺りから東進して東海岸へ。豊田社長は「チーム3」の一員として、東海岸の都市、コフスハーバーからメルボルンまでのコースでハンドルを握った。

   トヨタにとってオーストラリアは、1957年の「オーストラリア一周ラリー」に「クラウン」で参戦し、完走を果たした「トヨタのモータースポーツの原点」ともいえる場所。プロジェクトの最初の地にふさわしいとして選ばれた。とはいえ、なぜ、経営のトップである社長自らがハンドルを握るのか。

   「TOYOTA NEXT ONE」で伝えたかった豊田社長の想いはこうだ。

   たとえば、アップルの創業者である故スティーブ・ジョブズ氏ら、個性的なリーダーを有する企業は、商品だけでなく企業やトップの顔も見えている。そうしたトップのいる企業のブランドは、顧客との強固な関係性を構築している――。

   チーム3は、出発から72日間かけて14年11月13日に、メルボルンにかえりゴール。

   「TOYOTA NEXT ONE」で動画などで公開されている「豪州走破プロジェクト」では、豊田社長が"もっといいクルマづくり"に向けて、今もなおハンドルを握り続ける理由や、好調な業績のなかだからこそ社内に見せたかったリーダーの想いになどに迫っている。

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