無血開城から墓の始末まで...勝海舟の後半生を活写

「それからの海舟」(半藤一利著)

   東京都大田区が「勝海舟記念館」を設立するとの報に接し、手にしたのが本書である。勝海舟のファンを自認する著者が、海舟の後半生、すなわち江戸城無血開城前夜から海舟の墓の始末までを活写する。

   丁寧に資料収集した史実を基礎に据えつつも、他小説の描写も引用、のみならず憶測や感想さえも盛り込んで、とにもかくにも海舟の実像と魅力を存分に伝えようと筆を揮っている。海舟を「勝っつぁん」と呼ぶその行間に、著者が愉しみながら筆を進めたであろうことが窺える。

それからの海舟
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反骨のひと

   著者は江戸っ子らしい明治維新観を持つ。

   曰く「薩長軍は不平不満の貧乏公卿を巧みに利用して年若い天皇を抱き込み、尊皇を看板に、三百年来の私怨と政権奪取の野心によって討幕を果たした無頼の徒にすぎない」。だから官軍ならぬ西軍の錦の御旗についてさえ、制作の経緯を調べ尽くしてその権威を否定してしまう。

   そして「徳川八万騎の反乱を抑え」江戸八百八町を戦火から護った勝っつぁんを称揚しながら、薩長土肥の「田舎侍」をこき下ろす。御維新の顕官も形無しだ。著者の反骨は筋金入りと見える。

   主人公・勝海舟も反骨の人といえる。幕臣でありながら江戸城を開城し、他方で新政府にそっぽを向く。故に幕臣からも新政府からも疎まれ警戒される。批判文を送りつけられても、慇懃に礼を述べた上で「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」と相手にすらしない。

   海舟は歴史上敗者の側ではあるが、判官贔屓の語をあてはめるには事績が偉大に過ぎる。してみると著者の海舟贔屓は、偉人の反骨心に共鳴したものであろうか。著者の「海舟の歯に衣を着せぬ言は、まことにさわやかである」との言にそれが垣間見える。

海舟の陰徳

   毒舌家の海舟ではあったが、隠れた徳行が数多くある。

   江戸城無血開城以来、一貫して徳川家の安泰を図り、慶喜の名誉回復を陰に陽に新政府に働きかけ続けている。慶喜が如何に拗ねても見放さない。勝家の養子に慶喜の末子を迎え安泰を図る姿を見れば、海舟が敢えて爵位を受けたことも得心がいく。

   工作が奏功し、維新の30年後に慶喜が明治天皇と親しく会食した際、海舟は七十六歳であったという。「生きていた甲斐があったと思うて、思わず嬉し涙がこぼれた」と喜ぶ言葉に、武士としての面目が顕れる。

   落ちぶれて生活に苦しむ旧幕臣が多くある中、その面倒見も徹底している。

   本書が度々引用する「会計荒増」なる海舟の金銭出納簿によれば、金策に奔走しながら、誰に幾ら彼に幾らと、窮乏する旧幕臣に実に小まめに金を渡している。海舟は実子の留学費用さえ全て取り崩してこの支援に充てたという。無私の姿勢は、当時の高官の贅沢や蓄財しつつ政府に無心する実業家と鮮やかな対比をなす。

旧幕臣の底力

   著者のいう「田舎侍」は、血気はあっても新政府を動かすには役立たぬ者が多かったようである。引用される松平春嶽の書簡に「議参一同...終日、座禅アクビたばこの外、用はこれなく...愕然の外これなく候」とまである。他方で旧幕臣は、著者の言によれば「学問の鍛え方が違う」のである。自然、新政府も徐々に旧幕臣を登用せざるを得なくなる。

   仮に海舟が、旧幕府の有能な実務家を養い続け、時機を見て新政府に登用せしめ以て近代日本の礎に据えたとすれば、その深慮如何ばかりと言うべきか。

   新政権が旧政権の担い手に敵愾心や警戒心を抱くとしても、実務が担われなければ統治機構は動かすべくもない。権力が移譲される際のこの教訓は、時代を超え、ゆめゆめ軽視してはなるまい。

   旧幕臣の底力を示すエピソードは他にもある。本書によれば、静岡茶は旧幕臣自ら発案した開墾に端を発する。場所は数百年間も農民に見放されてきた傾斜地。想像を絶する労苦であったろう。従事した旧幕臣には、新選組の生き残りや「坂本竜馬暗殺団の一人とされている見回り組の今井信郎の名」もあったという。著者が評して「命懸けの努力は、歴史の蔭に、馥郁として香っている」とする下りは、「武家の商法」ならぬ「幕臣の農法」の成功を静かに讃えている。

ほんたうに面白いですよ

   本書で称揚されるのは、ひとり勝海舟のみではない。幕末三舟と謳われた髙橋泥舟、山岡鉄舟もさることながら、やはり西郷南洲は別格の扱いである。海舟は西郷没後早々に墓碑を建て「我を知る者はひとり西郷あるのみ」と刻み、以来、西郷の「逆賊」の汚名返上にも奔走する。

   海舟が建てた西郷の墓碑は、現在、洗足池(東京都大田区)のほとり、海舟の墓石の隣に移されているという。本書の締めくくりで、墓詣でをした著者の感慨が余韻をひく。

   海舟のプラグマティックかつ独特の見識は軍事外交のみならず財政にまで及び、著者による先の大戦との対比もあって本書は多面的な示唆を与えてくれるが、筆力乏しい評者には到底紹介しきれない。非力をお詫びしつつ、最後に阿川弘之氏による解説の末文を引用させて頂くこととしたい。

「私の亡父は長州の出...半藤さんにさんざん罵られてゐる『薩長の田吾作』なのである。田吾作の兒孫が面白いと保証するのだから、此の作品ほんたうに面白いですよ。」

酔漢(経済官庁・Ⅰ種)

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追悼