原作が上演禁止だったモーツアルトの傑作オペラ

   ロッシーニの「セビリアの理髪師」の原作を書いたフランスのボーマルシェ(これはペンネームで、本名はピエール・オーギュスタン=カロンといいます)の他の作品をもとに作られた有名オペラがあります。モーツアルトの「フィガロの結婚」です。フィガロ、というのが劇中のセビリアの理髪師の名前ですから、この物語は連作もので、1作目が「セビリアの理髪師」、2作目が「フィガロの結婚」、そして、3作目「罪ある母」というお芝居も存在します。3作目はフランスの近代の作曲家、ミヨーなどによってオペラ化されています。

「フィガロの結婚」の中の傑作アリアの数々
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貴族社会からかうネタ満載の「フィガロ」三部作

   モーツアルトの「フィガロの結婚」は、「セビリア~」がロッシーニの代表作であるように、彼のもっとも成功したオペラのひとつとなりました。彼の活躍した帝国の首都、ウィーンでは、人気が長く持ちませんでしたが、当時は同じハプスブルグ帝国の別の都市であったプラハ―もちろん現在はチェコの首都です―では、「町中の人が『フィガロ』の旋律を歌っている」と招かれたモーツアルトが手紙に書き記すほどの大ヒットとなったのです。

   モーツアルトは、「フィガロの結婚」までに既に数多くのオペラを書いていますから、手慣れた筆遣いで、このオペラを書いています。主要な登場人物それぞれに魅力的なアリアが用意され、「恋とはどんなものかしら」「もう飛ぶまいぞこの蝶々」といったアリアや「そよ風にのせて」と呼ばれる二重唱などは、オペラと離れて単独でも演奏されるぐらいの名曲です。しかし、このオペラは、上演されるかどうかが微妙でした。というのも、原作のボーマルシェの芝居は、帝都ウィーンでは上演禁止だったからです。原作者ボーマルシェはヴェルサイユ宮殿に出入りする身分ではありましたが、平民の出身で、たびたび上級貴族の横暴に悩まされてきました。また、時計職人、ビジネスマン、音楽家、詩人そして劇作家といろいろな顔を持つ多彩な人だったので、どちらかというと当時の貴族社会に批判的で、「フィガロ」三部作には、当時の貴族社会をからかう題材をこれでもかと詰め込んだのです。

軽快なオペラにしたモーツアルト作品、政治色を極力排除

   当然、まだ王家の統治が続いているおひざ元フランスでは上演禁止、そして、ハプスブルグ皇帝ヨーゼフ二世が統治する神聖ローマ帝国でも上演禁止だったのですが、こんな面白い物語はない、と目を付けたイタリア人興行師ロレンツォ・ダ・ポンテによって、モーツアルトが音楽をつけたオペラとしては、上演が可能になったのです。今でも、なぜオペラが上演可能になったかは謎ですが、政治的な風刺であるセリフをなるべく取り除き、男女入り乱れてのドタバタ劇に見えるように仕立てられたからだと思われます。

   「フィガロの結婚」成立には、ボーマルシェの原作をもとに台本も書いてしまったダ・ポンテの「ヒット作を見抜く力」が大いに役立っているのですが、モーツアルトも本格オペラの1作目に「後宮よりの逃走」という題材を選んでいます。オーストリアにとって、敵国かつ舞台はハーレムという「アブナイ」物語、これを選んだりしているので、「フィガロ」のオペラ化に大乗り気であったことがうかがえます。おそらく、他のウィーンで活躍する作曲家は、この物語に音楽を作曲するのを尻込みしたはずです。

   横暴な貴族と、それを機転でやりかえして、ぎゃふんと言わせる才気あふれるフィガロの物語を、複数の恋愛模様を織り込みながら、軽快なオペラにしたモーツアルトの作品は、政治色を極力排除したために、より一層、人々の欲望や才能を感じさせるリアルな「人間模様喜劇」に仕上がったのです。

   結局、そのことが、このオペラを不朽の名作とし、現代でも、モーツアルトのみならずオペラ・レパートリーの代表作として、世界中で愛されています。

本田聖嗣

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