妄想が生んだ異色の交響曲

   ドイツでウェーバーが「初のドイツ的オペラ」を完成させた頃、隣国フランスでは、一人の情熱あふれる作曲家が、斬新な曲の構想を練っていました。彼の名前はエクトル・ベルリオーズ、今日の1曲は彼の代表曲、「幻想交響曲」になります。

ベルリオーズの意志が強そうな肖像写真
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ベルリオーズ「幻想交響曲」

   ウェーバーやベルリオーズは「ロマン派」の時代の作曲家に分類されますが、彼らはその前の「古典派」の時代を強烈に意識していました。だからこそ、ウェーバーは古典派の時代を通じて圧倒的に優位だったイタリアオペラの牙城を崩そうと考えたわけです。一方、ベルリオーズをはじめ、ロマン派初期の作曲家は、古典派の時代に完成された形式、「ソナタ形式」に対して挑戦を考えます。ソナタ形式とは、提示部~展開部~再現部という組み立てで書かれているクラシック曲のスタイルの1つで、ピアノ・ソロの曲でこの形式を使うと「ピアノ・ソナタ」となり、オーケストラのための曲でソナタを書くと、「交響曲」となります。古典派後期の巨匠、ベートーヴェンが、9つの素晴らしい交響曲を書いてしまったため、以後の作曲家たちは、それを超えることを目指し、四苦八苦することになります。それぐらい、ベートーヴェンの交響曲は斬新かつ完成度が高いものだったのです。当時の空気を再現すると、「ベートーヴェンの作品以上の交響曲はもう現れないだろう」といったところでしょうか。

医学の道から転身した「改革者」

   ところが、「交響曲の改革者」は意外なところに、登場しました。隣国フランスの、上記、ベルリオーズです。フランス南部の出身で、もともと医学の学校に進むためパリにでてきた青年は、パリでオペラ座に通い詰め、音楽の道を志すようになります。パリ音楽院に入学したのは26歳の時、といいますから、現代の尺度で考えても、大変に遅いスタートです。幼いころからトレーニングを必要とする演奏家ではなく、作曲家を目指したので、可能だったとも言えます。

   パリで、最先端のオペラや文学や芝居に出会い、情熱を傾けたベルリオーズは、女性にも、熱情的にアプローチします。イギリスから来ていた劇団のシェイクスピア劇を見ていた彼は、主演女優スミスソンに一方的に恋をして、現代ならさしずめストーカー規制法に引っかかるぐらい熱烈アタックをします。売れない作曲家の青年とみられて冷たくあしらわれたとみるや、別のピアニストに猛烈アタック、こちらは婚約までこぎつけるものの、女性側の両親の反対にあって、彼女は別人と結婚する...。よくある話ですが、何事にも粘着質なキモオタ作曲青年ベルリオーズは失恋続きとなってしまうのです。

失恋のつらさを作曲への情熱に

   そして、その失恋のつらさを作曲への情熱として、彼は、怪作「幻想交響曲」を創り上げるのです。一人の青年が失恋し、恋人を殺めて断頭台で処刑され、そのあとに魔女がパーティーを開くという、おどろおどろしいストーリを創り上げ、それに沿う形で交響曲を作曲し、各楽章にタイトルとして説明的な文章をつけます。初期の演奏会では、プログラムノートを必ず添付するようにとも指示しています。「幻想」というタイトルを交響曲につけて、「この物語はフィクションです。」と断ってはいるものの、自分の失恋をモデルとして、包み隠さず曲にしてしまったわけですから、彼の開き直りは相当なレベルです。

   ただ、完成した交響曲は、単なる「誇大妄想的作品」では、ありませんでした。作曲技法を既にしっかりと身につけていた彼は、曲の中で、恋人の存在を表すメロディーを固定化して、「旋律で、特定の人物や物事を表す」という後世の作曲家にとっては当たり前の技法を最初にとりいれていますし、古典派時代の交響曲の編成から大幅に人数を増やしたオーケストラ用の作品とすることで、その後の巨大管弦楽への道筋もつけます。さらに、交響曲にタイトルをつけることによって、もう少し後に発明される「交響詩」というジャンルのお膳立ても無意識に行っていました。

   一人の孤独な青年の暗い情熱から、次の時代を予感させるような、巨大な交響曲が出来上がったというわけです。そして、この曲はその派手さのおかげか、今でも大変な人気曲で、フランス人の作った交響曲として、もっとも多く演奏される作品の一つとなっています。

本田聖嗣

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