フランス国歌が遠くで聞こえるドビュッシーの前奏曲

   クラシック音楽の作曲家は、古い時代の人が多いので、厳密にいえば、現代の国とは違う環境で生まれた人も少なくありません。日本ではよく「ドイツの作曲家バッハ」や「オーストリアの作曲家モーツアルト」という表現を目にしますが、彼らの時代には、現代の「ドイツ」や「オーストリア」は存在しなかったのですから、これらは便宜的表記です。現在のように国民国家が成立するのは19世紀以降で、おそらくそれまでは、国よりそれぞれの都市のほうが存在感があったはずで、「ライプツィヒで活躍したバッハ」や「ウィーンで活躍したモーツアルトやベートーヴェン」といった感覚が普通だったはずです。

   ヨーロッパで国民国家成立の大きな引き金になったのは、1789年から始まるフランス革命です。革命後、ナポレオンの帝政や王政復古があったとはいえ、「領主が治める国」から最終的には「市民が治める国」へ、新たなる発想を生み出し、アメリカの独立にさえ影響を与えたという点で、フランス革命は近代の扉を開く大変重要な事件でした。今週の7月14日は、バスチーユ監獄襲撃の日を「革命記念日」として、祝日として祝う、フランス最大の記念日です。

『花火』の楽譜の出だし部分。軽く、均等に、そして遠くから、と書かれている
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ドイツ音楽の優勢のなか独自の音楽の振興目指したフランス

   欧州各地に、国民国家が成立してみると、いわゆるクラシック音楽世界では、ドイツが優位でした。オペラこそ、母国であるイタリアはまだ存在感を発揮していましたが、器楽においては、バッハやモーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーといった人たちが活躍したおかげで、ドイツ音楽の優勢は、誰の目にも明らかだったのです。

   革命でいち早く近代的人権の確立をしたフランスの人たちは、これではいけない、とフランス独自の音楽の振興をめざし、サン=サーンスやフォーレといった作曲家たちが、「国民音楽協会」という団体を結成しますが、今日は、その流れを汲む、近代フランス最大の音楽家、ドビュッシーのピアノのための「前奏曲」から1曲、「花火」を取り上げましょう。

    ドビュッシーは、このコラムでも取り上げた「月の光」などで有名ですが、「印象派」と絵画と関連づけて呼ばれる新しい響きを音楽に導入し、フランスのみならず、世界に影響を与えた作曲家です。そういった「新しい表現」を目指すのと同時に「祖国フランス」を強く意識した人でもありました。若いころに、当時ヨーロッパで熱狂的に支持されていたワーグナー―つまり「ドイツの作曲家」―に傾倒したことが一因かもしれません。その後、強烈な「アンチ・ワーグナー」になり、彼のオペラを嘲笑するような曲さえ作っています。坊主憎けりゃ...のように、ドビュッシーはその後、ますますドイツ的な表現や曲にライバル心をあらわにし、楽譜に「フランスの作曲家」と署名したり、フランス独自の音楽の確立に心血を注ぎます。

最後の数小節にさりげなくフランスへの愛を込め...

   20世紀に入ってから10年ほどたったころ、つまり今からちょうど100年ぐらい前、円熟期を迎えたドビュッシーは、ピアノのための「前奏曲集」を企画します。前奏曲を24曲作り、前奏曲集にするというアイデアは、古くは24の長調・短調すべてで前奏曲とフーガを書いたJ・S.・バッハのものですが、ロマン派のショパンなどもそれを意識した前奏曲集を書いています。ドビュッシーは12曲ずつ第1巻と第2巻に分けたため、両方合わせて24曲なのですが、第2巻の一番最後に置かれたのが「花火」という曲です。

    この「花火」は、ドビュッシーの時代には、既に祝日として定着していた、7月14日の革命記念日の夜の花火なのです。現在も7月14日の晩に、パリで打ち上げられ、テレビで中継されたりします。ドビュッシーは、フランス最大の祝日の夜空に打ちあがる花火の模様を、大変技巧的なピアノのパッセージで表現しました。あたかも絵画か動画を見ているように「花火」を音で描いたドビュッシーは、本人は嫌っていたとのことですが、「印象派」と呼ばれるのに相応しい素晴らしい作曲家といえましょう。

    そして、花火の華麗なる共演をたっぷり聴かせたあと、祭りの余韻の中で、最後の最後に、遠くから聴こえてくる人々の歌声が、右手によって小さな小さな音で弾かれます。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のクライマックスの一部分です。本当に一瞬だけ、一節だけなので、知らなければ聴き逃してしまうほどです。

   彼は、前奏曲集の最後の曲の最後の数小節に、とてもフランス的に...つまり、大変さりげなく、祖国への愛を込めたのです。このセンスがフランス、という自負を持って。

本田聖嗣

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