ショパン「ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53」が「英雄」と呼ばれる理由

   ロマン派の作曲家であり、ピアノの詩人と形容される、フレデリック・ショパンは、その作品のほとんどがピアノ曲です。そして、彼もベートーヴェンと同じように、自作曲に安易な題名をつけるのを好みませんでした。音楽は絶対音楽として先入観なく聴いてほしい、と考えていたからで、表題という言葉に影響されるのを嫌っていたのです。しかし、周囲の人間によって、ショパンの「英雄」と呼ばれることになった曲が今日の主人公です。正確には、ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53です。通称「英雄ポロネーズ」と呼ばれることが多くありますが、これはもちろん、ショパン「非公認」の愛称です。

ショパンが名づけたのではない証拠。楽譜冒頭には「英雄」とどこにも書かれていない
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「ポーランド風の」舞曲を作曲にうってつけの人材

   ポロネーズのみならず、ショパン全作品のなかでもひときわ有名なこの曲は、華麗なる技巧が要求され、ピアニストにとっては大変チャレンジングな作品となっています。しかし、その難しさを克服して弾けたときには抜群の効果、つまり人々が「英雄」と思わず名付けてしまうような勇壮さがでてくるのです。中間部の左手に出てくる難しいオクターブの連続パッセージは、あたかも、勇猛で名高いポーランド騎兵が騎乗して行進しているかのようです。

   ポーランドの作曲家であるショパンがポロネーズを作曲するのは不思議に見えませんが、実は、画期的なことでした。そもそもポロネーズという言葉自体、ポーランド語ではなく、フランス語で、「ポーランド風の」という意味を持っています。ポロネーズという音楽のジャンルは、ポーランド宮廷で16世紀ごろ成立した勇壮な踊りの音楽、ということになっていますが、ショパンが活躍したのは19世紀ですから、ポロネーズの意味も変容していました。それはポーランドで踊られる音楽ではすでになく、外国、特にポーランドから近かった隣国ドイツや、ポーランドと結びつきの強いフランスで、「ポーランド風の」と銘打って作曲・演奏される曲だったのです。フランスの血をひくポーランド人であるショパンは、祖国の革命を避けて、フランスでいわば「亡命生活」を送っていたわけですから、この、客観的に「ポーランド風の」と名付けられた舞曲を作曲するには、うってつけの人材だったといえましょう。実際の国であるポーランドは、ロシアなどにより分割されて地図上から消えていたわけですから、真のポロネーズという音楽は、ショパンの心の中と、人々の記憶の中にしかなかった、と言えるからです。

   ショパンがこの曲を作曲したのは、1842年ごろです。彼は、ジョルジュ・サンドとの関係がうまくゆき、サンドの館のあったフランスのノアンで長期間過ごし、パリには時々顔を出す、という生活をしていました。病気や、祖国の滅亡や、失恋...といった辛いことが重なり、悲劇的な曲を書くことの多いショパンでしたが、この時期の彼は体力も気力も安定し、明るめの傑作を生みだしています。その中でも、ひときわ勇壮なこのポロネーズは、ショパンの精神を通して生み出された「英雄」となり、音楽の、ポーランドの、ヒーローとなりました。勇猛なポーランド騎兵はその後復活するものの、ドイツの戦車に破れてまた国が占領されたりしますが、ポーランドの「外」で書かれたこのポロネーズは、ショパンと、ポーランドを、永遠の誇り高き存在として人々に伝えてくれています。

本田聖嗣

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