若手研究者による沖縄政治史、復帰以降の記述にあらわれる"誤解"の意味

■「沖縄現代史」(櫻澤誠著)

   若手研究者が書き下ろした沖縄政治史である。近現代史の一項としてマクロ的に観察されがちな沖縄について、いわばミクロ的な政治過程が新書としてコンパクトにまとめられる意義は、今さら述べるまでもあるまい。本書あとがきに執筆経緯が記されているが、意欲ある学究に、こうした大きなテーマの取りまとめを敢えて求めた中公新書編集部に敬意を表したい。

沖縄現代史
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「政治部」史観の限界

   本書には、米軍統治からの自治の獲得、本土復帰と沖縄独立論の相克など、いまの沖縄をより深く理解するに資する事実が目白押しだ。現代沖縄の問題に関心がある方には一読の価値がある。

   表現は学者らしく全体に淡々としており、政治の大きな動きも数行で整理される。だがそれら数行の背後に、多くの利害得失や思惑が絡んでいることは容易に想像される。その意味で読み応えもある。

   敢えて苦言を呈すれば、政治の動きのフォローに忙しすぎ、経済の流れがほとんど語られないことだ。例えばB円軍票に言及しても、そのレートが、米軍の駐留を有利にするべく日本円3円=1B円と設定されたため沖縄経済が大打撃を蒙ったことは記されない。「鉄の暴風」といわれる苛烈な沖縄戦後、たくましく稼働を始めた多くの鉄工所の殆どが存続不能となったのは、このレート設定によると評者は聞いている。

   歴史書にままあることだが、本書は、報道機関で喩えれば「政治部」史観に傾斜している。だが政治は全ての人間活動を包摂して動く。「経済部」史観や「社会部」史観をも併せ複眼的に見なければ、表層をなぞるナイーブな歴史観となろう。

「オール沖縄」から汲み取るべきもの

   ナイーブといえば、著者が説明する「島ぐるみ」「オール沖縄」なる言葉にも難しさがある。

   確かに、県議会の全会一致での決議や、保革の立場を超えてまとまる県民大会の開催を見れば、まさしくこの呼称が当てはまる。だが、対立する政治勢力の一方が「オール沖縄」を自称すれば、その瞬間、それは「オール」ではなくなってしまう。この言葉からは、移ろいやすい世論や錯綜する政治的思惑を漂白し、県民の切なる願いを純化して掬いとることの大切さを再認識させられる。

   また、著者自身が専門外と認める復帰以降の記述については、復帰以前の記述と異なり、平板で一方の主張にのみ偏って映る部分もある。オスプレイの安全性や米軍再編交付金の趣旨などについて、誤解もあるようだ。

   しかし学究でさえ誤解する事柄にこそヒントがある、ともいえる。沖縄と直接間接に関わりがある政府職員は、どこまで真摯にこうした誤解を受け止め、粘り強く説明責任を果たそうとしているか。問われているのは我々の姿勢そのものかも知れない。

沖縄経済の未来

   度重なる沖縄財界の要請にも関わらず、本土政府は沖縄での石油精製や大規模工場建設を阻んできたという。自国資本重視という戦略の故らしいが、見方を変えれば酷な話だ。だがそれが沖縄の風土自然を守り、結果的に現在の観光資源を維持した。糾える縄の如き歴史の皮肉である。

   訊くところによれば、沖縄は有事にアジア圏大都市に展開しやすいが故に、戦略的要衝として重要なのだそうだ。それが米軍駐留の大義とすれば、平時には、沖縄こそがアジアのハブとなる資格を有していることになる。この点、いち早く物流基地を構築したANAの慧眼には畏れ入る。那覇空港第二滑走路や那覇港湾施設整備に評者が着目する所以である。

   戦後沖縄の歩みは苦難の連続であり、それは今なお続いている。そうした多くの逆境が、観光資源の維持や物流ハブの構築といった形で自立経済発展の礎に収斂していくならば、なお救いはある。

    少しでも多くの米軍基地が返還され、県民の安全が確保されて沖縄経済が持続的に発展していくことを切に願う次第である。

酔漢(経済官庁・Ⅰ種)

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