障害者の学生に夢の実現を!
日韓交流を通じて自立を支援する大学教官

   群馬大学荒牧キャンパスで2017年7月2日、「肢体不自由者の自立と社会参加」というシンポジウムが開かれた。

   群馬大学と韓国の延世(ヨンセ)大学の障害者学生たちが交流するイベント。公益財団法人「韓昌祐・哲文化財団」の助成を受けた群馬大学教育学部障害児教育講座の任龍在(イム・ヨンジェ)(40)准教授らが企画、主催した。

群馬大学荒牧キャンパスの任龍在(イム・ヨンジェ)准教授の研究室で。訪問すると足の指を使って、人数分の名刺を机に並べた
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5歳のときに両腕を失う

   任さんは自らが重度障害者で、行動派研究者の道を切り開いてきたパイオニア的存在である。韓国・釜山の国家公務員の家庭に生まれ、5歳のとき、バス事故に巻き込まれ、両腕を失った。

   小・中学は特別支援学校で学んだが、授業や生活のほぼすべてを自力でこなせるようになり、普通高校から名門の延世大学法学科に進んだ。在学中、数人の仲間に呼びかけ、引きこもりがちになる障害者を外へ連れ出すサークル活動を始めた。数年後にメンバーは400人に達したというから、抜群の行動力がうかがえる。

   卒業して一般企業に就職したが、障害者を取り巻く社会の壁に直面。障害者教育研究の道に進むことを決意、大邱(テグ)大学大学院に入学した。

   2年後、単身で日本に渡り、筑波大学大学院博士課程心身障害学専攻に留学した。日本、韓国、ベトナムにおける障害者支援教育を研究するかたわら、07年からは、日韓の肢体不自由特別支援学校同士の国際交流も開始した。

「韓国に連れて行った生徒が筑波大学に入学した。現在、博士課程で学んでいます」

   この経験から任さんは、さらに大きな構想を練る。それが「日韓・次世代の障害者グローバルリーダー育成事業」だった。

「障害を抱えながら様々な分野で活躍している人たちが世界に沢山います。それらの人たちと交流することで自分の生き方を見つめ直す。そこから新しいステップに進み、障害者グローバルリーダーを育成する試みです」

一人暮らしを見事に実現

   その好例が7月2日に群馬大学で行われたシンポジウムだ。シンポでは自分の夢を実現した2人の日本人障害者が、日韓の障害者学生たちを前に、みずからの体験を語った。

   一人目は「肢体不自由者の一人暮らし」というテーマで、群馬県在住の宮内康裕さん(40)。

   脳性小児麻痺児として生まれ、全身性の運動障害と言語障害を持つ宮内さんは、24歳まで親元で暮らしていた。だが親が亡くなった後のことを考え、一人暮らしを決心した。

   壁はいくつもあった。まずは住居探し。当時ネットで調べても車椅子で生活できるアパートがなく、役所や施設を訪ね歩き、ようやく見つけることができたという。

   次に、日々の生活の壁。ヘルパーさんの介助なしに食事も排泄もできない。ヘルパーさんとの人間関係に悩んだこともあったが、16年経った現在、パソコンを使って仕事をし、おしゃれやショッピングが好きで外出を楽しむまでになった。

   ある日、尿意を催してショッピングセンターの店員にトイレに連れて行ってもらったこともある。お礼の電話をすると、「ぜひまた、行らしてください」と嬉しい言葉をもらった。

   聴衆の障害者学生たちは一人暮らしが夢物語ではないことを実感したのか、「親は反対しなかった?」「生活費はどうやって?」など具体的な質問が相次いだ。

留学中、一番楽しかったのは乗馬

   二人目の横浜市在住の小川晃生さん(28)は、「肢体不自由者の海外留学と就職活動」を語った。

   中学3年の時、運動会の騎馬戦で落下。胸から下の筋肉が麻痺、車椅子生活になった。同じ境遇の障害者支援を志し、筑波大学に入学、同大学院に進んだ。この間、企業の障害者リーダー育成の研修生に選ばれ、米国・アリゾナ大学に9か月間留学した。同大学は障害学生支援で米国のトップレベルにあり、障害者専用ジムもあるという。アリゾナ大学ではウィルチェアーラグビー(車椅子による国際スポーツ)に挑戦した。そして卒業後、大企業への入社を果たした。

   「留学中、一番楽しかったことは?」と聞かれ、「乗馬です。日本では『体幹のない障害者は馬に乗れない』が常識ですが、背もたれをつけてもらい乗れました」。そう答えると質問者の目が輝いた。「就職にあたって大切なことは?」という質問に、「面接時にバリアフリーなどの要件をありのままに伝えること」。これには全員がうなずいた。

   海外留学も就職も「夢物語」ではない。通訳を務めた群馬大学准教授の任(イム)さんが、日韓の障害者学生を触発した。

   若い重度の障害者学生に自立と社会参加のきっかけを与える。交流活動に参加した障害者は悩み考え抜き、1年ほど経つと「私はどうすればいいのでしょうか」と相談にくるという。それを待つことが「楽しみでもあり、やりがいでもある」と流暢な日本語で自立支援への戦略を語った。

(文・ノンフクションライター 村尾国士 写真・菊地健志)

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