37年の時を越えて生まれ変わったブラームス「ピアノ三重奏曲 第1番」 秋に聴きたい1曲

   一雨ごとに気温が下がり、秋らしくなってくると、聴きたくなる作曲家が、ドイツ・ロマン派のヨハネス・ブラームスです。今日は、彼の室内楽作品、「ピアノ三重奏曲 第1番 ロ長調 Op.8」を取り上げましょう。

   ブラームスは生涯で3曲のピアノ三重奏曲を書いていますが、最初の曲である第1番は、ブラームス21歳の時、1854年に書かれています。

老いて円熟期のブラームスの肖像
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「1854年版」はほとんど演奏されない

   確かなピアノの腕を持ち幼少期よりピアニストとして活動し、同時に作曲に意欲を持っていたブラームスは、この時期、長年の友人となるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムや、尊敬していた作曲家のロベルト・シューマン、そして、その妻で、彼が生涯尊敬と愛情を抱くことになるピアニスト・作曲家のクララ・シューマンなどに出会った時期でした。

   おそらく、そういった先輩格の作曲家や演奏家からの刺激を受けて、彼は、自分の得意楽器であるピアノを中心に据えた室内楽、ピアノ三重奏曲を、志に燃えて、作曲したのだと思われます。

   しかし、この「ピアノ三重奏曲 第1番」は現在では、ほとんど演奏されません・・いや、正確に書くと、「1854年版」はほとんど演奏されない、といったほうが良いでしょう。

   実は、現在ブラームスの「ピアノ三重奏曲 第1番」として演奏されるのは、「1891年版」と呼ばれるヴァージョンなのです。

19歳以前の作品は1つも残っていない

   1891年というと、ブラームスはもう58歳、円熟期・・というより「初老」に差し掛かったところです。この少し前、ブラームスは、初めて老いを感じて、創作意欲も徐々に減退していました。しかしこの時期から、クラリネット奏者ミュールフェルトの演奏に接するなどして創作意欲を取り戻し、クラリネットが活躍する室内楽作品をまたいくつか生み出しているときでした。ピアノ三重奏曲はすでに第3番まで完成していましたが、彼は、若き頃の作品である、第1番に「大幅に」手を入れることにしたのです。

   全4楽章のうち、第2楽章は原型をとどめているものの、他の楽章は、最初こそモチーフを活かしていますが、そのあとは実質別の曲、というぐらい書き改められています。もちろん「若書き」の1854年版に対し、1891年版は、すでにほとんどの分野で傑作を世に送り出していた大作曲家の手になる「改作」ですから、こちらのほうが、どう見ても比較にならないぐらい良い曲で、したがって、今日の演奏家も、ほぼ100%、1891年版を「第1番」として演奏します。

   ブラームスは自己批判の強い人間で、たびたび自分の過去作品に改作の手を入れ、また、旧作となった作品は、潔く廃棄しました。そのため、彼の19歳以前の作品は1つも残っていません。

   そうやって、常に「今のベスト」を作品として残す姿勢のブラームスでしたが、なぜかこの「ピアノ三重奏曲 第1番」だけは、旧ヴァージョンも残されたのです。ほとんど別の曲といってよい、2つの「同一の題名を持つ作品」が残った、稀有な例です。

   交響曲 第1番に関しても、20年近く構想を練った・・といわれるブラームスのことですから、自分の作品については、いつも大変長いスパンで考えていたのかもしれません。

「春」を回想しながら改作していった?

   1891年以降のブラームスは、老いを感じたせいか、曲に渋さや寂しさが感じられ、秋にピッタリの曲が多いのですが、ピアノ三重奏曲 第1番 1891年版は、円熟した技法はもちろん随所にうかがえるものの、比較的エネルギッシュかつダイナミックな曲調となっています。

   ちょうど人生の「秋」に差し掛かったブラームスが、わが生涯の「春」を回想しながら、曲を改作していった・・・「春」を廃棄するのは惜しいので、そちらも残しつつ、「秋」の自分の音楽を存分に注ぎこんでゆく・・・・そんな息の長いブラームスの創作活動が聴こえる、作品となっています。

本田聖嗣

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