睡眠用に作られたバッハの「ゴルトベルク変奏曲」は眠るに眠れない傑作だった

   クラシック音楽はリラックスできる曲目が多いために、聴くと眠くなるといわれます。・・確かに、クラシックを聴くと脳のアルファー波が多くあらわれるそうですから、このことは立証されているといえます。しかし、作曲家は眠くなるために曲を書いたのではなく、人間にとって心地の良い音楽を追求した結果、リラックスかつ、眠くなりやすい音楽が作られた、というべきです。

   そんな、不本意ながら眠くなってしまうクラシック音楽のレパートリーの中で、元から「眠くなるための音楽」として書かれた、といわれる音楽があります。J.S.バッハの鍵盤楽器のための音楽、通称「ゴルトベルク変奏曲」です。

クラヴィア練習曲として出版された初版の楽譜。どこにも「ゴルトベルク」や「カイザーリンク伯」の名前はない
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不眠症に悩んでいて...

   この曲にはこういう逸話が伝わっています。ザクセンの宮廷に駐在していたロシア大使、カイザーリンク伯爵が、彼がひいきにして、雇っていた若き鍵盤楽器奏者、ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクを連れて、バッハのいるライプツィヒをたびたび訪れ、J.S.バッハと彼の長男W.F.バッハに、レッスンを受けさせていました。そして、伯爵はそのころ不眠症に悩まされていたので、なんとバッハに「眠くなる曲」の作曲を依頼し、ゴルトベルクに演奏させることをしたのです。

   バッハは、伯爵に、宮廷に推薦してもらったことなどで恩義を感じていたので、このような一見ぶしつけに思える依頼にも快く応え、各曲の和音構造が基本的に変わらなくて、その単調さが眠気を誘うと思われる「変奏曲」を選択し、素朴なアリアに30もの変奏曲をつけて、長大な曲を作り出した・・・。バッハ一族とも交流のあった伝記作家によって書かれたこのエピソードによって、「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれています。

   これが真実なら、作曲家バッハ公認の「眠れる曲」・・なのですが、残念ながらこの話は信憑性が疑われています。まず、当の初演者とされるゴルトベルクは当時わずか14歳、その後立派な演奏家になりましたが、10代の修行中の身ではバッハの晩年の大作を弾ける腕はなかっただろう・・という理由が1つ。2つ目は、この曲の楽譜のどこにもカイザーリンク伯やゴルトベルクに献呈されたという記載がなく、伯爵の依頼が事実だったかという点に疑問が残る・・というもの。

   そして、何より、この曲は、バッハによって、正式には、「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」という題名がつけられていて、バッハがそれまで鍵盤楽器のために作曲していた「クラヴィーア練習曲集」の第4巻にあたり、非常に高度な作曲技法を駆使して作られている、という点があります。

   楽譜から読み取ると、これは、バッハがそれまでに磨いてきた、鍵盤楽器のための変奏や展開の技法をもれなくつぎ込み、ひょっとすると、代表作となってもよいぐらいの完成度を誇る変奏曲になっているからです。とても、付き合いのある伯爵の依頼で、片手間で書いた「眠くなる曲」とは思えないのです。

知的興奮が抑えられない傑作

   後世のいろいろな研究者がバッハの作曲意図や、作曲上の工夫を探ろうとしましたが、まだすべては明らかになっていません。また、印刷されて出版された初版の楽譜に、バッハ自身が書き込みをしている事実がわかっています。バッハはおそらくさらに手を入れて、改訂版を作る計画があったのです。現代の出版譜はある程度それらの「書き込み」も反映されていますが、バッハの「本当の完成版」を我々は、ひょっとしたらまだ手にしていないのかもしれません。

   円熟のバッハが、渾身の力を込めて作りこんだ「変奏曲」は、本当は眠くなるどころではない、知的興奮が抑えられない傑作だったのです。ピアニスト、グレン・グールドは、1955年、当時全く知られていなかったこの曲を自らのデビュー録音に取り上げ、一躍この曲と彼自身の名前を有名にしました。

本田聖嗣

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