還暦で原チャリ免許 野原広子さんに見えてきた別の世界

   女性セブン(3月15日号)の「勝手気ままにオバ散歩」で、「還暦ライター」を名乗る野原広子さんが原チャリ(原動機付自転車)免許への挑戦記を書いている。

   18歳で上京して42年、野原さんは運転免許というものに縁がなかった。ところが、先日お父様が亡くなり、茨城県の実家に89歳の母親が残されたという。これで事情が変わった。田舎では車がないと何かと不便で、これまでは高齢ドライバーの父親が家族の移動を支えていた。その「足」を失い、せめて自分も原チャリくらいはと思い立ったのである。幸い、実家にはお母さんが数年前まで使っていた1台がある。

   18歳で普通免許を取った友人(65)には、「高校生が取るものでしょ?   年齢制限ないの?」と笑われた。それでも野原さんは「1200問   実践問題集」を開き、空走距離、幅員減少といった聞き慣れない用語と格闘する。受験前日には設問を順番に朗読し、間違えたところに付箋を貼ってまた朗読、という涙ぐましい努力を重ねた。

   ほとんど寝ないまま、鮫洲(東京都品川区)の運転免許試験場に向かう。視力検査に続いて、いよいよ30分間の学科試験である。

免許を取ると交通標識に目が行くように
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「約束ごと」に目が

   試験の結果はその場で発表される。

「机の一点を見つめ体中を耳にして聞く。3人目にわが受験番号を読み上げられたときは、うれしいというより、体中の力が抜けちゃった」

   体当たり取材が持ち味の自称「オバ記者」も、自分のことになるとしおらしい。16人の受験者のうち合格は6人で、何の不思議もないけれど筆者以外は10代か20代だった。

   それから何度も、免許を取り出しては眺める野原さん、「人は運転免許を持っている人と、持っていない人のふた通り」と思い始めている。どういうことか。

   これまで、道路交通法や交通標識にはおよそ無頓着だった。それが免許を取った途端、路上にまで描かれた諸ルールに目が行くようになった、というわけだ。

「この約束ごとの上で、人と車は動いていたんだなと、大げさに言えば、世の中、違って見えるのよ」

減りゆく原付

   たぶん多くの同世代と同じように、私の免許歴は40年余。毎日のように道楽で運転している身に、「世の中が違って見える」という野原さんの感覚は新鮮だった。

   免許を持たない人やペーパードライバーにすれば、徒歩でも自転車でも、交通ルールといえば信号の3色なのだろう。あとはクルマに注意するくらいか。

   逆に、運転席から道路標識や車線規制ばかり見て過ごせば、この社会がいかに「約束ごと」で満ちているかを実感する。それだけではない。「この交差点には右折車線を設けるべきだ」とか「ここは一時停止でしょう」とか、約束ごとを増やして路上の秩序を保つ思考になる。私は権威主義とは真逆の立場ながら、人間、ハンドルを握るとあれこれ変わるのだ。

   わが世代は原付(げんつき)と呼んできたが、原チャリ、ミニバイクといった呼称も広まった。排気量50cc以下のバイクは日本独自の規格で、16歳以上で適性検査と学科試験を通れば1日で免許をもらえる。手軽な乗り物である。

   ところが日本自動車工業会によると、国内販売は1980年の198万台から16万台(2016年)に落ち込んだ。排ガス規制をクリアするための技術開発コストがメーカーに嫌われているらしい。もはや風前の灯火である。

   公道で見かける原チャリそのものが少なくなる中、還暦で若葉マークという野原さんの存在はあらゆる点で珍しいだろう。違って見える世の中を、あらためて誌上で伝えてほしいものだ。「還暦ライダー」の健筆と安全運転を祈りたい。

冨永 格

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