読んで楽しいレシピ 山崎ナオコーラさんは照り焼きの「ピカッ」に感動

   レタスクラブ10・11月合併号の「考えごとで家事を楽しむ」で、作家の山崎ナオコーラさんが、家庭雑誌にあふれる料理レシピについて書いている。料理の作り方を事務的に、間違わないよう平易に説明する調理手順の文章にも、筆者の人柄がにじみ、読み手を感動させるものがある、というのである。

   山崎さんが初めて「面白い」と思ったレシピは、家庭料理のレジェンド、小林カツ代(1937-2014)の「鶏の照り焼き」だという。料理本に収められた照り焼きの仕上げ工程に〈ピカッとするまで煮からめる〉というフレーズがある...思わず笑ってしまった山崎さん。

「レシピというのは...誰にでも通じるような無味乾燥な説明でひたすら構成されている、と思い込んでいたので、『ピカッ』と感じるまでやる、という抽象的な指示を出されるとは想像だにしていなかった」

   彼女は「まあ、適当にやるしかないか」とキッチンに立つ。もも肉を焼いて取り出し、フライパンを拭いてタレと絡めていたら、確かにピカッとしたのだという。

「そのとき、心に温かなものが広がった...『ピカッとするまで煮からめる』というフレーズを個人的に味わえた、と感動した」
秋のロールキャベツは、ひき肉の温もりを余さず包容し、静かに横たわる(レシピ文学風)=料理は自作を冨永が撮影
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「他人」に出会う喜び

   山崎さんは改めて思う。

「レシピには、料理人の、調理器具へのスタンス、人への接し方、食材への思いが、滲む。キッチンの環境は読者によりけりだから、『何分』『何杯』よりも伝わる言葉がある。文章なのだから、どんな書き方をしたっていいのだ」

   小説や随筆、詩歌などの言語芸術とは別に、世には人の心を動かす言葉や文がある。

   「私はチラシや看板のフレーズにも感動する。ツイッターで見かけたちょっとした言い回し、ネットニュースの変なフレーズに救われることもある。どんなところにも、感動するフレーズは隠れている」...だからもちろん、レシピにも。

   実際、山崎さんはネットのレシピを読みながら「わあ、こんなワクワクするような書き方をするか。ひとりご飯を楽しんでいる人なんだなあ」「この人、雑な性格なんだなあ。気楽にキッチンに立てるからいいなあ。クスクス」なんて思うことがあるという。

   単なる料理の作り方を超えて、書き手の人柄が隠し味のように、簡素な文面に滲み出すレシピは、「私、他人に出会った」という喜びをもたらすと。

「それに気がついてからは、たとえ作るつもりがなくても、レシピの文章を楽しめるようになった。小説やエッセイだけではないのだ。レシピでだって、読書ができる」

ハウツーを超えて

   書店員と結婚し、2歳の子がいる40歳の山崎さん。もともと家事は好きでも得意でもなく、心にシャッターを下ろし、つまり己を無にしてこなしていたそうだ。この苦役をなるべく短時間で済ませられないか、ああ、同じ時間を仕事に使いたい...。

   ところがある日、家事では「アイロン担当」の夫が、その最中にいいアイデアを思いついたと知り、「家事をしながらでもプラスの時間を過ごしやがった」と頭にくる。そして、仕事につながらなくても面白いことを考えながら家事をしようと思い立った。今年1月号の連載初回に、そんな説明がある。風変わりなタイトルの由縁でもあろう。

   数ある家事の中でも、料理の地位は別格だ。汚れたものを元に戻す掃除や洗濯に比べ、前向きな、足し算的な何かがある。ただの栄養補給を超えて、食べることの悦楽、健康づくりなど、様々な付加価値が皿に乗っているのだろう。作り方を伝授するレシピにも、おのずとハウツーを超えた「遊び」の要素を盛ることができるはずだ。

   実際、昨年刊行された「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」(宝島社)は売れたから、レシピ文学という新分野が成り立つかもしれない。

   恥ずかしげもなく「趣味は手料理」と公言している私。調味料の案配などは簡単なメモにし、作るたびに更新しているが、それは材料と分量が愛想なく並ぶ「無味乾燥」の代物だ。

   この際、読ませるレシピを目ざして「四季のオムレツ」あたりから始めてみようか...より文学的には「オムレツの四季」か。

冨永 格

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