ドビュッシーの有名ピアノ曲「月の光」 同じタイトルの、ちょっとマイナーな歌曲

   今年、2018年の中秋の名月は、東京では残念ながら雲が多く、観月に向いた天候ではありませんでしたが、1か月後の満月、10月末の満月は、やっと秋晴れの空に恵まれて、秋らしい月夜となりました。

   クラシックで月、というと、今年が没後100年のメモリアルイヤーの作曲家、フランスのクロード・ドビュッシーのピアノ曲、「月の光」が筆頭に挙げられますし、同じフランスの作曲家のガブリエル・フォーレの歌曲、「月の光」もそれに次いで、有名かつ親しまれている名曲といってよいでしょう。

   しかし今日、取り上げる曲は、この二つの「月の光」からすると少し控えめですが、決して見過ごすことのできない曲です。ドビュッシーの歌曲「月の光」です。

1番最初の歌曲『月の光』の楽譜。そこには後の『月の光』のような憂いに満ちた表現は少ない
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ヴェルレーヌの詩をもとに作曲

   実は、ドビュッシーは「月の光」という歌曲を2回、作っています。2曲、と書かないのは、同じ詩に作曲しているからです。

 

   詩を書いたのは、象徴派の詩人、ポール・ヴェルレーヌ。ドビュッシーは習作の時期から、円熟の時期まで、ヴェルレーヌの詩に曲をつけていますから、お気に入りの詩人だったといってよいでしょう。

   ヴェルレーヌが25歳の時、1869年に刊行した「艶なる宴」。これは、遠いルネッサンス時期のイタリアの架空の宮廷で行われている仮面舞踏劇などの情景を織り込んだ幻想的な作品ですが、この中に「月の光」が含まれています。1882年、まだ若かりしドビュッシーは、この「月の光」をもとに歌曲を作曲します。パリ音楽院の作曲科学生にとっての登竜門、「ローマ大賞」へ応募するものの、まだ予選落ち・・という修行の時代でした。

   暫く後、1891年になって、29歳のドビュッシーは、もう一度、今度は歌曲集「艶なる宴」の3曲目として、同じ詩・・・正確には最後の1節を省いているのですが、・・・「月の光」を歌詞として、歌曲を作曲したのです。

   既に「ローマ大賞」を受賞し、その副賞としての、イタリア・ローマ留学を終えて、帰国し、詩人マラルメのサロンなどに参加し、それまでお気に入りだったドイツのワーグナーの音楽に反発するようになり、「フランスの作曲家」として第一歩を記し始めた時期でした。そんなときに、改めて、ヴェルレーヌの「月の光」を自らの歌曲の題材として選んだのです。

   2回目の「月の光」の1年前、1890年には、代表曲となるピアノ独奏のための「月の光」を含む「ベルガマスク組曲」を作曲していますから、この時期のドビュッシーは、かなりこのヴェルレーヌの詩の言葉と、それが醸し出す幻想的な雰囲気にこだわっていた、といえます。

フォーレの人生と絶妙に交錯

   ピアノ独奏の「月の光」は「ベルガマスク組曲」というタイトルを持つ組曲の3曲目です。この「ベルガマスク」・・・「イタリアのベルガモ地方風の」というタイトルは、イタリアに留学していたドビュッシーが、ベルガモ地方を訪れた印象をもとに書いた・・・という解説を時折目にしますが、同じタイトルの「月の光」という歌曲が、イタリア留学以前である9年前に書かれていることからして、ベルガモ地方に関連がある、という説明は、少し無理があるように思われます。

   ヴェルレーヌは、イタリアのルネッサンス時代に宮廷で盛んに演じられた仮面即興喜劇に使われる仮面「マスク」と、ベルガモ地方の、というフランス語の形容詞形「ベルガマスク」の語尾が韻を踏むことから、「マスクとベルガマスク」という表現をしたまでで、ドビュッシーは、歌曲では、歌詞の中に明らかに含まれているこの一節から、ピアノの組曲の総タイトルに一種の「謎かけ」として、つけたものだと思われます。

   というのも、ドビュッシーの二つの「月の光」の間には、上記で登場した、フォーレの「月の光」が作曲されており、フランス歌曲の白眉ともいえる、同じヴェルレーヌの詩につけたフォーレの「月の光」に、『2度目の月の光』は、明らかに影響されているからです。

 

   1度目の単独曲としての「月の光」は、ルネッサンスのイタリア宮廷の仮面劇の楽しみを表現するような明るい曲調となっているのに対し、2回目の「艶なる宴 第1集」の3曲目としての「月の光」は、どことなく憂いを含んだ、朗唱風の作風になっているからです。これは、ほぼ間違いなく、デリケートな旋律ですべての人を魅了したフォーレの「月の光」を意識しているから、といってもよいでしょう。そして、フォーレは、これらの曲とは全く関係はありませんが、「マスクとベルガマスク」という管弦楽組曲をも他に作曲しているのです。

   つまり、2度目の「月の光」は、近代フランス音楽興隆の最初の1人にして、第1人者だったフォーレの人生と、そのすぐ後の世代で、フランスを代表することになるドビュッシーが微妙に交錯し始めた時点で作曲された、ということが言えます。2回目の歌曲「月の光」に近接して作曲されたピアノ曲「月の光」は、ドビュッシーの初期作品、とよく紹介されますが、ドビュッシーの中で、「月の光」は、もう十分に咀嚼(そしゃく)されていた、といってよいでしょう。

   ちなみに1度目の「月の光」は、ドビュッシーが当時付き合っていた女性・・・人妻でしたが・・・に献呈されています。実は、「女性関係」ということでも、フォーレとドビュッシーの人生はその後微妙に交錯してゆくのですが、それは、また違う機会に書くことにしましょう・・・。

   人は月を見上げていろいろなことを想いますが、ドビュッシーの「有名でないほうの『月の光』」である2曲は、実に味わい深い歌曲です。ピアノ曲と合わせて、ぜひお月見のおともに、聴いていただきたい、近代フランス音楽の美意識に触れることのできる、隠れた名曲です。

  

本田聖嗣

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