当事者が教えてくれる「認知症になっても今日を生きる方法」

■『ゆかいな認知症 介護を「快護」に変える人』(奥野修司著、講談社現代新書)


   認知症については、最近、本や映画だけでなく、テレビドラマでも頻繁に取り上げられるようになった。徐々にではあるが、その理解が広まりつつあるように感じる。特に、当事者の人々が、自らの体験、思いを様々なメディアを通じて語る中で、「認知症=何もできない人、わからない人」というイメージが、大いなる誤解、偏見であることが認識されつつある。

   「ボケ」、「痴呆」という言葉が使われていた時代を知る者としては、隔世の感がある。

   本書は、ノンフィクション作家である著者が、1年をかけて、全国で「活躍」している認知症当事者の人々(14人)を取材し、これまでの苦労、現在の症状、生活上の工夫、今感じている思いなどを、当事者自身のリアルな言葉で紹介している。この書評欄で、評者自身、これまで幾度となく、認知症をテーマとする本を取り上げてきたが、今回の「ゆかいな」認知症ほど前向きなタイトルは初めてだ。

   認知症と一口に言っても、お一人おひとり、症状も違えば(記憶障害がほとんどない人もいるし、幻視に悩む人、空間認知障害のために袖を通すだけで1~2時間もかかる人もいる)、日常生活で困っている内容も異なっている。ただ、本書に登場する14人はいずれも、認知症という厳しく辛い事実を突きつけられ、一時は引きこもりなど深刻な状況を経験しながらも、社会や他者とつながることによって、新たな人生を踏み出したという共通点がある。

   私達は、こうした当事者の生の言葉を通して、認知症の人が何を考え、何を感じ、何を望んでいるのかを知る。全くわかっていなかったという思いとともに、もっと本人の声に耳を傾けて聴くことの必要を感じる。

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外の世界につながること、特に当事者同士の話が励みとなる

   当然のことながら、本書に登場する当事者の人々の多くが、病気の受容に、筆舌に尽くし難い苦労をしている。異口同音に、認知症との診断を告知され、「私の人生は終わった」と絶望的な気持ちになったと語っている。インターネットや本に書かれている「暴れて危害を加えたりするようになり、寝たきりになって死んでいく」といった情報に怯えたというコメントもあった。告知後、何年もの間、家族以外とは接触せずに、引きこもっていたという人も多い。

   こうした状況から抜け出すきっかけは、いずれも外の世界につながったという点が共通している。特に、当事者との出会いが、外に目を向ける契機となっている。診断された時の辛さ、落ち込んでいた時期にどう立ち直っていったかなど、経験者の話が心に響いたという。

「自分が不安だったとき、『大丈夫だよ、頑張りなさない』と言われても、『この気持ちは、お前にわかるはずがない』と反発していました。でも当事者同士で話をすると、同じ病気を背負っているせいか、素直に共感できます。当事者の悩みは当事者にしかわかり得ないものがあるのです」(仙台の丹野智文さん)

   最近、こうした体験を基に、認知症当事者が相談者となる、本人のための相談窓口(おれんじドア)が各地で作られ始めている。家族には言いづらいことでも、他者、とりわけ同じ病気を経験している当事者には話しやすいというわけだ。

できないことにこだわらず、できることを大切にする

   本書に登場する元気な当事者に共通する点として、「開き直り」が挙げられる。

   誰もが、認知症の告知後は、深刻な落ち込みを経験するが、立ち直りのプロセスを経る中で、次第に、できないことにこだわらずに、できることを大切にするという開き直りが見られるようだ。

「以前は忘れると不安が広がったり落ち着かなくなったりしましたが、いまは『病気だからしょうがない』と開き直っているせいか安定しています」(仙台の丹野智文さん)
「(半年にわたって引きこもっていた本人を心配して、還暦の祝いで集まった同期生たちが自宅まで押しかけてきて連れ出した顛末を語る中で)こっちは親戚にも会いたくないほど恥ずかしいのに、なんで同期生と一緒にと思うたけど、宴会場に着いたら同期生が200人ぐらい集まっている。半年も引きもりじゃけぇ、酒も入って酔いも回ってくる。そのうち、ええい面倒臭い、わしはわしでええんじゃ。何か言われたら、『認知症じゃ、それがどうしたんじゃ!』と開き直ればいい。そう思ったら、外に出られるようになったんです。あのことがなかったら、今頃は寝たきりかもしれんな」(広島の竹内裕さん)
「最初は隠したいから気を遣っていたけど、一度いい思いをしたら、隠すことに気を遣うより、『私は認知症という病気で、何も悪いことはしていない。胸を張って認知症と言えばいいんだ』と思った方が楽だとわかったんです」、「私の頼り方はすごいですよ。誰かれ構わずお願いしていますからね」(名古屋の山田真由美さん)

様々な工夫によって、できる限り、普通の生活を送る

   本書に登場する当事者は、比較的初期でもあり、スマホやタブレットを活用したり、当事者であることを説明するヘルプカードを携行し手助けをしてもらうなど、様々な工夫によって、外出し、世界を広げている。

   仙台の丹野智文さんの場合、スマホが最大のサポートツールだ。道案内としてのナビは当然として、リマインダーとしても優れモノだそうだ。例えば、講演先でホテルに泊まり、同行者と朝8時に朝食の約束をした場合、7時と7時50分の2回、アラームをセットしておき、7時に起床しアラームを止め、7時50分のアラームでレストランに降りていくという風に活用している。街で困ったときには、「若年性アルツハイマー本人です。ご協力をよろしくお願いします」というヘルプカードを携行し、現在地がわからなくなったときなどには、躊躇することなく、カードを見せて、助けてもらうという。

   道に迷うことは、認知症当事者にとって、外出時の最大のリスクであるが、複数の当事者が、手作りの地図を作っていた。単なる地図ではなく、降車するバス停や目的とする建物が視認できるよう、経路から見える風景が書き込まれたものだ。「普通」の生活を送るために並々ならぬ努力をしていることに驚かされる。

   本書の中で、認知症と診断されて7年が経過した茨木の平さん(仮名)が語っているが、

「早期の段階に自分の人生を自分で決めると自覚してほしいんです。自覚したときに、私は変われたと思っています。隠したって症状は進みます。それなら、ここが悪いんだという自覚を持ち、そこで何を足していけば、できないことができるようになるかを考えたほうがいい。メモを取る、スマホを持つ、そういうことを初期の段階で学べばいいのです」

   なんといっても「当事者自身の人生は自分で決めてほしい」というのだ。この自覚こそが、できる限り、普通の生活を送るために必要なのかもしれない。

認知症の人の声を聴く――本人も、介護者も楽になる――

   今、認知症当事者は、介護される存在という受け身のイメージから、自らの思いや考えを発信する積極的な主体へとそのイメージが変わりつつある。

   でも、認知症の当事者自身が、どう思い、どう感じているかを、介護者を含め周囲の者は真剣に聴いていないという。「どうせ何もわからなくなっているのだから」という先入観が邪魔をしている。

   本人と介護者の間に距離があると、介護者自身も、次第に擦り切れてくる。一生懸命、介護しているのに、本人は不機嫌になるし、問題行動も増えてくる。疲れてくれば、介護者自身も思わず暴言を吐き、そういう自分に自己嫌悪する。悪循環だ。

   著者は、1年にわたる取材を通じて、以下の発見があったという。

「認知症の人たちをめぐるこの旅で、『介護は大変だ』という話はよく聞かされました。でも、認知症の人の思いや本音を聞いてみると、実は家族の持っている情報が間違っているために、自ら介護を大変なものにしているのではないかと思うことがよくありました」

   本書は、認知症の人にとっても、介護者にとっても、今日をよりよく生きるために、認知症の人の声に耳を傾けることが何より大切だということを教えてくれる。

JOJO(厚生労働省)

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