25年越しの宿願 松重豊さんは撮影で訪れたそのホテルで...すっきりした

   サンデー毎日(6月16日号)の「演者戯言=えんじゃのざれごと」で、俳優の松重豊さんが、ある高級ホテルに抱いてきた「わだかまり」を吐露している。

「今日の撮影現場は都内の外資系高級ホテルの一室で、朝早い時間にも拘わらず朝食会場は多くの宿泊客で優雅に混み合っていた」

   松重さんは福岡県出身の56歳。「孤独のグルメ」シリーズなどで知られるが、その日の仕事がドラマなのか対談なのかCMなのかは、この冒頭だけでは判らない。

「あるレベル以上のホテルのモーニングブッフェには、必ずと言って良いほどオムレツをその場で作ってくれるコックさんがいて、たとえ外国であっても、カタコトで僕好みのオムレツを注文するのが何よりの楽しみだ」

   客室でのスタンバイまで時間に余裕があり、ここの朝食を楽しむこともできる。しかし、松重さんは自重した。「今日の僕にはやるべきことがあるのだ」と。

   「このホテルの部屋で用を足すこと。それを成し遂げるまではフレンチトーストもエッグベネディクトも無い」...おっと、なにやら尋常ではないこだわりである。

高級ホテルとはどこだったのか
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でっかい野望を秘めて

   ここで松重さんは、1990年代前半に記憶のネジを巻き戻す。ほぼ無名の下積み時代とはいえ、すでに舞台やテレビ、映画に出始めていたころである。

「30過ぎて娘が生まれてもバイトに明け暮れていた僕は、今日もバイクで早稲田にある建設現場に向かっていた。聞いたことも無い名前のホテルが建つようで、石材屋の職人として今日一日の作業を託されていた」

   松重さんは中国からの留学生2人と一緒に、セメントに混ぜる砂を各作業場に一輪車で配る仕事をする手はずだった。トラックが、公園の砂場ひとつ分ほどの砂をA地点に下ろす。ところが現場監督は「ここはダメだからB地点に移せ」と言う。松重さんたちはスコップで砂を一輪車に乗せ、約100メートル離れたB地点に数時間かけて運んだ。運び終えると「やっぱりA地点に戻せ」と。留学生たちをなだめすかして作業を終えたら、こんどは「B地点へ」の指示である。ここで留学生は帰ってしまった。

「無理もない、ドストエフスキー言うところの究極の拷問だ。心を無にして運び終え、砂の小山に思いっきりスコップを投げつけて、思った、いや、念じた。もうバイトはしたくない、出来れば今日を最後にしよう」

   激烈なルサンチマンである。金輪際アルバイトをしないことのほかに、松重さんにはもう一つ宿願があった。随筆全体のタネ明かしともなるそれが、最後に明かされる。

「いつの日か、このホテルの豪華な客室で、でっかい糞を垂れてやる...。その日以降、幸運にもバイトをしていない。そしてもうひとつも今日、叶うはずだ」

文字が持つチカラ

   この作品を読んだ私はまず、東京23区の地図を開き、新宿区北部にあるはずの「外資系高級ホテル」「25年前には聞いたことも無い名前のホテル」を確認した。なるほど。

   役者として売れる前に味わった屈辱。いつの日にかその始末をつけたい、と念じていた松重さんである。当然ながら、あの現場監督に向かうべき恨みであり、宿泊施設としてのホテルとはなんの関りもない。だが監督は今どこで何をしているか分からず、でっかい憤怒の落としどころとして、彼の自宅を突き止めることもかなわない。

   他方、A地点とB地点の間を一往復半した恨みの砂は、ホテルの基礎構造のどこかに使われているのである。松重さんの解決法は「それ」しかなかった。冒頭の「優雅に混み合っていた」という描写に、私は歪んだ怒りと、宿願成就が近い解放感を見て取った。

   もちろん、黒い目的のために自腹で宿泊するのは馬鹿らしい。くだんのホテルが撮影現場となったことで、ついにその時が巡ってきたわけだ。タイトルに「オムレツはトイレのあとで」とあるように、まずは「仕事」である。

   客室で水に流した積年の恨みは、こうして主要誌で公にすることでサッパリ昇華したに違いない。文字が持つ癒しのひとつだと思う。おめでとうございます。

冨永 格

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