楽譜は何を伝えているか(4)

   人間は文明というものが意識される以前から、おそらく、言葉を使うことを覚えて「人間」になった瞬間から、音楽を演奏したり聴いたりして楽しんでいたと思われます。地球に現れた最古の文明とされるいくつかの文明の発祥の地、メソポタミア、エジプト、インダス、中国などでは、音楽は日常のさまざまな場面で利用され、親しまれてきたはずです。

   まことに人類の文化の歴史は果てしなく長く、文明が勃興した地域も世界各地にあるのに、先週取り上げた古代ギリシャや古代ローマも含めて、なぜ誰も「楽譜」を発明できなかったのでしょうか?いや、しようとしなかったのでしょうか?

タブラチュア。楽器の演奏には便利だが、音楽そのものを記譜してはいない
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カラオケ行く前に楽譜を見てメロディー覚えるか?

   音を出す楽器、という点において、古代文明はすでに十分に先進的でした。先週取り上げたオルガンのルーツは古代ギリシャ文明にありますし、電子楽器を除けば、現代のアコースティック楽器、つまりオーケストラで使われるような楽器の類は、ほぼ全て古代から存在したのです。弦を張り、それをこすったり弾いたりして音を出す弦楽器、管に息を通して響かせる管楽器、そしてもっとも原始的な叩いたりこすったりして音を出す打楽器。もちろん現代の楽器は進化し、洗練されていて音も大きく、きれいな音色を持っていますが、「音の出る仕組み」だけに注目すれば、紀元前何世紀・・という古い時代の楽器もほぼ同じ仕組みを持ち、ざっくり言えば、「似たようなもの」だったのです。加工精度も決して悪くはなく、それなりにちゃんとした「楽器演奏」が存在したであろうことも推測できます。

   それならば当然存在するだろう・・・と現代人なら考えてしまう楽譜は、演奏や音楽教育にとって欠かせないアイテムなのに、存在しないのです。

   繰り返しますが、何千年にもわたって、なぜ人間は楽譜を発明しなかったのでしょうか?

   いくつかの理由と、あまり機能的ではないが、それに代わるものがあった・・というのがどうやら答えです。

   まず、楽譜を生み出した欧州の音楽は、現在のクラシック音楽に引き継がれていますが、「ハーモニーを作る」俗に言う、「ハモる」ことをマストとしています。しかしながら、世界の音楽はほとんどメロディーだけの単旋律のものが多く、そういったメロディーだけの音楽は、口伝でも十分伝えられる、ということです。実際に、我々も「メロディーだけ覚える」ということはカラオケ好きでなくても、無意識に行っています。

   カラオケの画面ですが、歌詞は表示されますが、楽譜は出てきません。しかし、カラオケに行って「知っているお気に入りの歌を歌おう」というときに、事前にその曲の楽譜を見てメロディーを正確に覚えてからカラオケに行こう、と考える人はどれだけいるでしょうか?私自身を含めて、そんな人は滅多にいません。少し歌のメロディーが怪しくても、「知っている範囲内で歌ってしまおう」と考えるのが常で、歌詞は間違えたら嫌だからカラオケ画面は見るけれど、メロディー譜はいらないや・・と考えるのが通常です。もちろん、「楽譜が読めない」という人でも、カラオケでは簡単に歌えます。

   古代人も、おそらく同じ考えかたで、現代の我々が、プロの歌手の歌っている歌をテレビやラジオで聞いてメロディーを覚えるのと同じように、周囲の人々や、歌の上手な人が歌うのを聞いて「耳コピー」すれば十分、と考えていたのだと思います。

声さえあれば歌える歌、修練が必要な楽器

   そのため、彼らも歌を歌うときに見るものは、まず「歌詞」が必要で、メロディーを知ろうとするのには、歌詞の周りに小さな印をつけた程度、で満足していたのです。古代ギリシャや古代ローマにあった「簡単な楽譜のようなもの」とはこれで、あくまで歌詞が主体、その言葉の周辺に「ちょっと高く」とか「低い音で」とか「ここは長く」というような印をつけたものだったのです。

   ただしこの「楽譜のようなもの」は、その歌を知っていることが前提のメモのようなものです。全くその音楽を知らない人にとっては、歌詞を知ることこそできるものの、メロディーを知るにはあまりにも情報不足の代物でした。そのため、共通の文化圏であった古代ギリシャや古代ローマ帝国が滅びてしまうと、後に残らなかったのです。

   一方で、器楽の場合は、ちょっと複雑でした。歌のように「必ず1つの音だけを出す」とは限りませんし、声さえあれば歌える歌と違って、楽器から音を出すのにはある程度の修練が必要です。現代でも同じで、ギターを弾くにも、ピアノを弾くのにも、フルートを吹くのにも、ある程度の練習と、場合によってはレッスンが必要なはずです。

   そのため、「楽器を弾く人のための楽譜的なもの」は、古代中国にも、古代メソポタミアにも、古代インダス文明にも、もちろんギリシャやローマにも、存在しました。「タブラチュア」と分類されるこれらは、現代のギターのための「タブ譜」・・・もちろんこれも「タブラチュア譜面」の省略語なのですが・・・と同じ役割をしていて、たとえば、「ギターの指板のどこを押さえればこの音が出ますよ」という指示を直接与えるものです。楽器の音の出し方にフォーカスしているので、「この高さの音を、このテンポで、これだけ長く演奏してください」という楽譜が持っている通常の機能は持っていません。つまり、この種の譜面も、「曲をあらかじめ知っていることが前提」なのです。

   音楽に国境がある世界・・・同質の文明社会の中で演奏される音楽では、即興性の重要さと、この種の「みんな知っている曲だから、メモ程度で良いよね」というコンセンサスが成立していたので、「これを読めさえすれば音楽が再現できる!」という、「楽譜」が発明される可能性がほぼなかったのです。

   確かに、「楽譜を正確に読めて演奏できる人だけがカラオケができる」なんて世界であって欲しくないですね。歌は気持ちよく歌いたいものです。

本田聖嗣

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