渡辺美里「tokyo」
自信に溢れた30年前の若者の街

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   一枚のアルバムには、様々な「時間と時代」が記録されている。その作品が生まれた時代や人々の生活、そのアーティストの置かれていた環境やその時の心情。本人の意識がどうであれ、その時代を映し出すドキュメントとして存在している。

   2020年11月25日に発売された渡辺美里のアルバム「tokyo」の30周年盤は、改めてそんなことを感じさせてくれた。オリジナルは90年7月発売、彼女にとっては6枚目のアルバム。週間チャートは一位。その年の年間チャートでは4位の大ヒットアルバムである。

   そうか、30年なのか、と改めてしみじみとした感傷に捕らわれてしまった。

「tokyo」(ERJ、アマゾンサイトより)
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変わり果てた2020の東京

   きっと日本の都市の中で最も歌のテーマになっているのが「東京」と言って間違いないと思う。「花の都・東京」は戦前の歌謡曲から舞台になっている。戦後の焼け野原だった時代には復興の証しとして歌われ、高度経済成長の下では地方都市から上京してくる若者たちの光と影の物語を綴ってきた。

   ただ、渡辺美里の「tokyo」を聞いていて、そんなに古いことを思い出したわけではない。30年前なのだからむしろ最近の部類に入るかもしれない。

   それでいて「隔世」の感があったのは、2020年の東京が、あまりに変わり果てている気がしたからだ。

   渡辺美里の「tokyo」がレコーディングされたのは。1989年11月から90年の4月にかけて。80年代の終わりから90年代の初めに行われている。

   日本の経済が空前の好景気を謳歌している時だ。株価が3万8957円という史上最高値をつけたのが89年12月だった。日本の大手不動産会社がマンハッタンの象徴でもあるロックフェラーセンターを買収したのも89年10月だ。その頃の東京がどうだったか。六本木で捕まらないタクシーを止めるために一万円札をひらひらさせたという話は東京の都市伝説だろう。

   アルバム「tokyo」には、まだその頃の東京の若者たちの機運が生き生きと歌い込まれている。

   アルバムの一曲目が「Power~明日の子供」だ。作曲はtkとしてプロデューサーで一時代を築く直前の小室哲哉、作詞はその曲だけでなく全曲が美里自身である。彼女は1966年生まれ。制作している時は23歳だった。

   「光の子供達はまっすぐに歩いてゆく
明日の子供達はまっすぐに歩いてゆく」

   4曲目の「POSITIVE DANCE」はこうだ。

   「この時代 動かしていくのは
錆びついた 常識や力より
はみだしてる 青春のほうが強いはず」

   渡辺美里は、1985年、18歳でデビューした。デビューした時のキャッチフレーズは「ロックを母乳に育ちました」である。80年代前半にアイドル全盛期を作った松田聖子や中森明菜とは違う同世代感覚。アルバム「tokyo」の中には自分の高校時代のことを歌った「恋するパンクス」もある。高校時代に松田聖子がデビューするきっかけになった集英社の「ミス・セブンティーン・コンテスト」に応募した時に、審査委員からの「好きなアーティストは」と訊かれて「セックスピストルズ」と答えて彼らを絶句させたというエピソードは有名だ。

   70年代には海外の音楽だったロックを10代の女の子たちの音楽として開花させたのが彼女だった。その最初の大輪となったのが、86年の「My Revolution」だったことは言うまでもない。

「明日の子供達」はまっすぐ歩いてゆけるのか

   渡辺美里を語る時に、触れなければいけないのが、19歳の時に初めて行われた西武球場でのコンサートである。女性アーティストの最年少スタジアムコンサートであり、そこから20年間続いた「スタジアム伝説」。89年8月の二日間公演は、雷雨のために二日目が中断せざるをえなかった。89年11月にその時の「リベンジ」として東京ドームで行われたのが「史上最大の学園祭」だった。

   アルバム「tokyo」は、そうしたライブで得た自信がほとばしっている。

   そう、30年前、東京は自信に溢れていた。街ばかりではない、若者たちもだ。

   アルバム「tokyo」の前作、89年7月に出た「Flower Bed」は、ニューヨーク、ロサンゼルス、東京という三か所でレコーディングされた。ミュージシャンも海外の超一流のメンバーが参加している。「tokyo」の中の彼女の歌に備わった勢いは、そうした「他流試合」で得た自信もあるだろう。

   アルバムタイトル曲「tokyo」にはこんな歌詞がある。

   「20th Century 光をあびて
青い惑星 君はいる
幾千年の彼方から 朝と夜とが 訪れる」
「君のRevolution あきらめないで
愛するコトの答え 探す」
「君のSatisfaction ゆずらないで
そして今日が歴史になる」

   自分たちが歴史を担っているという明日への希望。自由で奔放で伸び伸びとしていて軽やかにはみだしている。

   東京はそんな若者たちのRevolutionにあふれる街だった。

   30年というのはどういう時間なのだろう。

   "十年ひと昔"という言葉を借りれば"さん昔"ということになる。

   2020年の東京。STAY HOMEに押し込められ、緊急事態宣言に動揺し、誰とも近づきすぎないように日々の感染者数に怯えながら暮らす毎日。夜の街は憎まれ役になりライブハウスは標的になった。

   アルバムの中の「遅れてきた夏休み」には、こんな歌詞がある。

   「打ち水された あの駅前 商店街に 夏のにおい
花屋の店先 アサガオの鉢植え
色とりどりに ならびはじめる
金魚すくい 浴衣の帯 屋台 綿菓子 夏祭り ビルの間に あがる花火を
今は ひとりで見ているよ」

   30年前の東京ーー。

   夢と希望に溢れ、人と人のぬくもりと季節感に彩られていた街ーー。

   それは20世紀の幻だったのだろうか。

   2020年の「明日の子供達」は、まっすぐに歩いてゆけるのだろうか。

(タケ)

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