「建国記念の日」だよ「建国記念日」じゃないよ 「の」1文字には深い意味が

   2月11日は建国記念の日。2021年はコロナ禍で緊急事態宣言が出されて大規模な式典などは自粛される傾向なので、例年よりも地味なものになりそうだ。それにしてもなぜ「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」なのか。

2月11日は、何「の」日?
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「みんなが納得できる」ように

   これはインターネットでしばしば話題になるテーマだ。ヤフー知恵袋には、「建国記念の日と憲法記念日は、なぜ『記念の日』と『記念日』と言う風に違うのですか? 教えてください」という質問が2012年に出ている。

   戦前は日本書紀などに基づいて2月11日が「紀元節」とされ、「建国記念日」だった。その同じ日がなぜ戦後は「建国記念の日」になったのか。

   長い回答が掲載されている。概略は以下。

   戦後になって、「日本の国の始まりが2月11日だっていう根拠がない」という意見が強くなった。しかし、「別の日ったって、他にいい日があるわけじゃないから、とりあえずこの日にしよう」「じゃあどうするの?」「建国記念【の】日にしよう」「【の】を入れただけで、今までとどう違うの?」「別にこの日に日本が始まったわけじゃないけどさ、いつ始まったかわからないけどさ、でもまあとりあえずこの日にみんなで『ああ、あ、何月何日かはわからないけど、日本が始まったんだなあ。素晴らしいことだなあ。』っていうふうに昔のことを記念する日にしました。そういう感じのネーミングさ」

   日本史学者の本郷和人・東京大学史料編纂所教授も2020年2月11日の「PRESIDENT Online」で下記のように記している。

「神話の世界の話を『これぞ、日本の歴史』だと主張することは、さすがに近代国家では通用しません。そこで、苦肉の策として生まれたのが『建国記念の日』です。つまり、『建国記念日』とは言わず、『建国記念"の"日』とすることで、日本の建国をお祝いする日にしよう。それならみんなが納得できるのではないか。そんな事情で、『建国記念日』の間に、『の』という一文字が入ります。この『の』はいわば、大人の配慮の結晶だったと言えるでしょう」

大日本帝国憲法の発布日

   「建国記念の日」は1966(昭和41)年の制定。すんなり決まったわけではない。「戦前に戻る」という懸念で、各本面から強い反対の動きがあった。中でも有名なのは、歴史学者でもあった三笠宮崇仁さまの反発。

   1959年の著書『日本のあけぼの―建国と紀元をめぐって―』の中で、「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。(中略)それは過去の事だと安心してはおれない。もうすでに、現実の問題として現われ始めているのではないか。 紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」と批判した。

   三笠宮さまはある日、保守の重鎮・大野伴睦氏のところを突然訪れ、「2月11日というのは科学的根拠がない。国家権力で祝日とするのは間違い」と自ら説明、「紀元節万歳」の大野氏の翻意を促したこともあるという。大野氏と親しく、実際にその様子を目撃した読売新聞記者・渡辺恒雄氏は「三笠宮殿下は非常に民主的な人」と記している。

   ヤフー知恵袋には、「なぜ建国記念日は大日本帝国憲法の発布された2月11日」なのかという趣旨の質問も出ている。

   「建国記念の日の前身である紀元節が定められたのが1873年。大日本帝国憲法の発布は1889年。大日本帝国憲法の発布日を紀元節にしたのではありません。記紀に書かれている神武天皇の即位日を太陽暦に当てはめると紀元前660年2月11日なることから、その日を紀元節と定めたのです。大日本帝国憲法の発布日をわざと紀元節にしたのか、それとも偶然の一致なのかは私にはわかりませんが」という回答が掲載されている。

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