馬券に残る作品名 井崎脩五郎さんは酒場店主のひらめきに脱帽

   サンデー毎日(9月5日号)の「予想上手の馬券ベタ」で、競馬評論家の井崎脩五郎さんが名作映画をめぐる酒場での逸話を紹介している。今作で連載1405回を数える長寿連載。毎回、競馬評論の枠を超えた楽しい読み物に仕上げている。

   2010年の夏のこと、競馬帰りの井崎さんは新宿ゴールデン街に立ち寄った。日曜の夕、なじみの店らしい。カウンター内の店主は、小さな紙を黄色い画鋲で壁に留めているところだった。見れば、さっき終わったばかりの「札幌記念」の単勝馬券である。

   ビールで喉を潤しながら券面に目を凝らすと、馬名と購入額は「7番フィールドベアー 100円」「3番ドリームサンデー100円」とある。

「両馬ともかなりの人気薄で、レースでは先行したものの末が甘くなり、着外に敗れていた(フィールドベアーは11番人気で9着、ドリームサンデーは8番人気で12着)」

   そんなハズレ券をなんでまた?...いぶかる井崎さんに店主が気がついた。〈この馬券、いいでしょう。記念になるわあ。われながら、よく気がついたと思って...〉

   そう言われた筆者はハッとした。「ああ、映画の...」「そうなのよ」

   2頭の馬の名には「フィールド」と「ドリーム」が含まれていた。店主は1989年公開の米国映画「フィールド・オブ・ドリームス」の熱心なファンで、作品のパンフレットを店に飾るほど。なるほど、両馬が仲良く「札幌記念」で走ると知り、100円ずつ買ったということだった。大穴狙いというより、馬券を手元に残すのが動機だったわけだ。

「そりゃあ、買いたくなるよなあ。『日本中でこれに気がついたの、私だけかも』と、いつまでも威張れるよ、これ。同好の士には垂涎の的かも」
トウモロコシ畑が大変身
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トウモロコシ畑で

   映画は、米大リーグで起きた八百長事件(1919年)を題材にしたヒット作だ。

   1980年代のアイオワ州。実直な農夫(ケビン・コスナー)が〈それを造れば 彼はやってくる〉という謎の声に導かれ、広大なトウモロコシ畑の一角に野球場を造り始める。周囲に嘲笑されながら完成した「夢のフィールド」に、ある日、八百長で球界を追われた強打者ジョー・ジャクソン(ホワイトソックス)らが現れる、というファンタジーである。

「無敵の強さがありながら、強欲なオーナーによる低年俸にあえぎ、賭博師の誘いに乗って八百長を働いたかどで球界から永久追放された8人の選手。その彼らが、天界から甦って球場へ登場する」

   ジョーは金こそ受け取ったが、試合では大活躍し、わざと負けるようなプレーはしなかったとされる。

「クライマックスは、外野のトウモロコシ畑から選手たちが登場するシーンだが、おそらく、そのトウモロコシの実に合わせて画鋲を黄色にしたのだろう」

   11年前の酒場のシーンが随筆で甦ったのにはワケがある。この夏、8月12日、映画のロケ地に本物の球場(8000人収容)が造成され、アイオワ州では初という大リーグ公式戦が行われたのだ。カードはあのホワイトソックス対ヤンキース。選手たちは復刻デザインのユニフォームに身を包み、外野後方のトウモロコシをかき分けて入場した。

   試合は打ち合いの好ゲームとなり、最後は右翼のトウモロコシ畑に消える逆転サヨナラホームランによりホワイトソックスが9-8で勝った。この特別興行は、劇的な幕切れも相まって広告収入やテレビ視聴率は上々で、来年もカードを変えて開催される。

「あの馬券、いっそう価値を増すなあ...」

ネタの引き出し

   私は1990年代初め、たしか欧州航路の機上で、このベースボール賛歌を堪能した。気圧のいたずらもあったのか、心地よい涙が止まらず困ったのを覚えている。

   くだんのトウモロコシ畑でメジャーの公式戦があったという話題。私も「へえ」と驚いたのだが、この一報を聞いて、井崎さんは真っ先に酒場のハズレ馬券を思い出したのだろう。黄色い画鋲というディテールが、記憶の鮮烈さを物語る。

   およそ物書きなら、知識や記憶の断片を乱雑に放り込んだ「ネタの引き出し」を持っている。昔なら取材ノートに、いまならパソコン上か、すべて脳内という猛者もいるだろう。連載を抱えるライターたちは、折々の話題に関連づけて最適の素材を引き出しから探し、全体の構成を練る。コラムでもエッセイでも、それが基本技である。

   引き出しは大きいほど、トピックを引っかけるアンテナは高いほどいい。

   ただし、書く中身も専門知識に絡ませなければならない筆者たちは、ハードルが少し高くなる。例えば井崎さんの連載に、グルメ情報や恋愛ノウハウを期待する読者はいないだろう。どこかで競馬に関係した話でないと「看板に偽りあり」となる。

   だからこそ、トウモロコシ畑で公式戦というニュースに接した井崎さんの「一本できた感」が、わがことのように想像できるのである。

冨永 格

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