きつね丼 平松洋子さんは「しなだれる油揚げ」に豊穣の秋を思う

   GINZA 11月号の「小さな料理 大きな味」で、平松洋子さんが「きつね丼」の飾らないうまさを、レシピつきで書いている。旨くて巧い、丼も文章もプロの味である。

   短いエッセイは新米の話で始まる。

「ご飯のおいしい季節です。豊穣の秋がやってきた。この当たり前のように繰り返されてきた言葉を口にできることが、こんなにうれしい。ごく普通の日常が巡り来るのはすでにそれ自体がかけがえのない幸せなのだと、去年の春からずっと思ってきた」

   コロナ禍による不自由を託ちながら、程度の差はあれ多くが「当たり前」の貴さを実感したことだろう。平松さんは、田んぼ一面の黄金の実りに思いを馳せて、刈り取った稲を天日干しする「はざかけ」の作業に触れる。陽光と風にさらすことで、モミの水分がほどよく抜け、コメの品質が上がるのだという。

「秋の穫れたてを言祝(ことほ)ぎたくて、新米を研ぐ。まずそのまま炊いて白米を堪能したら、その次に小丼に進みたくなる。また白米に戻るのだけれど、その通過地点に小丼がいてくれるのがうれしい」

   白米、小丼、また白米。自らの意思で挟んだ小丼を、「いてくれる」と表現するあたりが平松さんらしい。小丼を甘辛の味に仕上げると、コメの甘さがぐんと引き立つという。あえて構えず、彼女が手近な材料でさっと作るのが「きつね丼」である。

   きつね蕎麦を引くまでもなく、料理できつねといえば油揚げのこと。残る材料はタマネギと卵だけで、工夫を凝らすまでもないシンプルさが魅力らしい。

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かつ丼の影武者に

   2人分のレシピは以下の通りである。

   (1)だし(2/3カップ)醤油(大さじ1と1/2)酒(同1)みりん(同1/2)砂糖(小さじ1)を小鍋に入れて火にかける

   (2)沸騰したら薄切りのタマネギ(1/2個分)と1センチ角に切った油揚げ(1枚分)を加え中火で煮る。

   (3)味が染みたら溶きほぐした卵(2個分)を回し入れ、全体をごはんにかける。

「甘じょっぱい汁をたっぷり含んでじゅわじゅわのスポンジになった油揚げが、炊きたてのご飯にしなだれかかる。黄色の卵のなかで、そっと巣ごもり」

   これを食すたび、平松さんはいつも同じ思いに至るそうだ。「かつ丼に似ている」と。新米の季節だけでなく年中、「かつ丼欲がむくむくと浮上したとき」も、きつね丼の世話になっているという。

「黄色い小丼は明るい月を映すかのようだ。チョイと唐辛子をふりかけると、にぎやかな秋祭りもやってくる。秋風の吹き渡る田んぼいちめん、どっさり刈り取った稲を乾かす『はざかけ』の風景の美しさを思いながら、今宵はきつね丼」

田んぼを再現

   ありふれた料理の、何気ない味わいを書くのは、ごちそうや高級料理に比べはるかに難しい。後者であれば、見たまま聞いたままを紹介するだけでも読者の関心に応えることになろう。しかし、刻みたてのネギが香る豆腐の味噌汁や、新米の塩むすびの旨さを文章化するには、持てる表現力や語彙を駆使しないと一行半で終わりかねない。

   きつね丼は、ありふれた食材でつくる割には知られていない。一般家庭はもちろん、駅前食堂のメニューにもないだろう。丼のラインナップでは、かつ丼、天丼、親子丼、牛丼、中華丼、鰻丼、海鮮丼といったレギュラー陣とは別の世界に、影薄く佇んでいる。

   それが、平松さんの手にかかると実に美味しそうなのだ。たとえば「じゅわじゅわのスポンジになった油揚げが、炊きたてのご飯にしなだれかかる」というくだり。彼女が当代きっての食の書き手であることを確認できる。

   そして旬の白米との相性。コメの甘さを際立たせるには、あえて甘辛の具材と合わせるというのも新鮮だ。何度も作った人にしか書けないことである。

   油揚げと卵によって、小さな丼の中に黄金色の田んぼが再現される。収穫の秋や新米にも絡め、季節感あふれる読み物ともなっている。

   平松さんにはやはり、食ライターではなく随筆家の肩書がふさわしい。

冨永 格

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