節分の「豆まき」中止続く 「鬼は外」でコロナ追い出したいのに

   2月3日は節分の日。「鬼は外」の元気な掛け声と共に豆をまく――しかしながら各地の寺社などでは、2022年も、昨年に続いて豆まきを中止したところが多いようだ。

   「鬼は外」のルーツは、疫病退治だったという説もあるだけに、残念がる人は少なくない。

「鬼は外」の鬼とは、外国から来た疫病神のこと
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2年連続で

   福岡県の宗像大社(宗像市田町)では2月3日、恒例の節分祭が行われるが、祭典後の豆まきは中止。参拝客へ「福豆」を無料配布する。豆まきの中止は2年連続となる。

   長野市の善光寺も恒例の「節分会(え)」の豆まきを2年連続で見送った。

   善光寺のウェブサイトによると、新型コロナウイルス感染拡大の状況を鑑みたもので、「当山式衆による疫病退散を祈念する、追儺式のみを執行させていただきます」。

   NHKによると、山梨県の見延山久遠寺も豆まき中止。すでに用意していた福豆を地元の小中学校などに配り、子どもたちの健康を願った。

   全体の傾向として見送るところが多いが、有名人が豆をまくことで人気の成田山新勝寺は、「立春前日の2月3日、新型コロナウイルス感染防止対策を万全にし、成田山節分会を厳修いたします。本年は初場所で優勝を飾った新大関の御嶽海関をはじめ、大相撲力士が参加されて大本堂前で豆まきを行います(予定)」と告知している。

   ただ御嶽海については1月31日、新型コロナウイルス感染が確認されたと日本相撲協会が発表した。

「鬼」は「疫病」のこと

   節分や豆まきのルーツについては諸説あるが、『天変地異はどう語られてきたか――中国・日本・朝鮮・東南アジア 』(東方選書)は、「疫病(感染症)」との関わりを詳しく報告している。

   6世紀ごろから、日本列島ではしばしば疫病が大流行した。古代の記録に残されている。このころの疫病はいずれも新羅からもたらされたとみられている。705年の疫病流行では、直前に新羅から貢調使が来日していた。737年の流行は、新羅に行った遣新羅使が持ち帰ったといわれる。

   このときは、日本各地に感染が拡大。とくに平城京のダメージは甚だしかった。大臣・中納言・参議などの政権首脳が次々と亡くなった。当時、貴族とされていた五位以上の4割が死亡したそうだ。実際に流行した疫病としては、天然痘、麻疹、腸チフスなどが想定されている。

「感染症は日本から出ていけ」

   節分の豆まきのルーツといわれる宮中行事に「追儺」(ついな)がある。疫病を引き起こす鬼を、日本の領域の外に追い出す儀式だ。中国の「大儺」を模したもので、日本では8世紀に始まったそうだ。

   背景には律令国家が成立して国家意識が高まり、日本と外国を分けて、外国を疫病がやってくる場所とする考え方が反映されている。すなわち「鬼は外」の鬼とは、外国から来た疫病神のこと。「感染症は日本から出ていけ」のことだったという。

   こうした歴史を知る人の中には、各地の「豆まき」中止を残念がる声もある。昨年2月2日の「ヤフー知恵袋」には、「疫病を退治するのが節分の建前では」「豆まき中止でコロナ感染拡大は収まりません」という投稿が掲載されている。

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