2024年 5月 4日 (土)

発売50周年のミツカン「味ぽん」ロングセラーの秘訣 消費者の好みに応じて成分を変化させる努力

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

   ミツカンの万能調味料にしてロングセラー「味ぽん」が2014年、発売50周年を迎えた。家庭用の「ぽん酢」という市場を事実上創出し、今もその国内シェアは6割超。根強い人気を誇る理由は、日本の食卓を変えた食べ方の提案のほか、消費者の好みに応じて成分を変化させるたゆまぬ努力にあった。

   「ぽん酢」という言葉の語源をご存じだろうか。ミツカンによると、オランダ語で柑橘果汁を指す「ポンス」(pons)なのだそうだ。柑橘果汁は鎖国中の江戸時代にオランダから長崎に伝わり、これに酢を入れて加工した調味料を「ぽん酢」と呼ぶようになったという。

当初は主に関西限定で店頭に並んだ

「日本の鍋」を支え続けて50年(画像はイメージ)
「日本の鍋」を支え続けて50年(画像はイメージ)

   ミツカンが50年前の1964年11月、今の「味ぽん」を発売した当時は、「ぽん酢<味つけ>」の商品名で主に関西限定で店頭に並んだ。柑橘果汁に醸造酢を加えたうえ、醤油で味付けしたこの新商品は、3年後の1967年秋に「味ぽん酢」との名前で全国発売されるにいたった。1979年に現在の「味ぽん」の商品名となる。

   ミツカンは江戸時代後期の1804年、現在の愛知県半田市で創業した超老舗の調味料製造業だ。創業者は、江戸で寿司が流行しているのに興味を持ち、「これからは寿司に使う酢の需要が高まる」と見て酢の製造販売を始めた起業家だった。その創業家の先代当主、7代目中埜又左工門(なかの・またざえもん)さんが、福岡県の料亭で取引先との会食で「博多水炊き」を食べた際に出てきたぽん酢のうまさにひかれたのが、「味ぽん」発売のきっかけだ。「家庭でも料亭のぽん酢のような鍋用調味料を味わって欲しい」と発売を思い立ったというのだ。

関東では思うように売れなかった

   先代の指示を受けてミツカンの商品開発者が各地の料亭に通い、ぽん酢の味の再現を目指して試行錯誤を繰り返し、何とか商品化にこぎつけた。はじめはさっぱりとした鍋物「水炊き」が根付いていた関西で売り出し、消費者からまずまず好評を得た。

   しかし、1967年に全国発売したものの、主要消費地の関東では思うように売れなかった。今と違って地域によって「鍋文化」が異なる時代。関西はあっさり系の水炊きにつける味ぽんが受け入れられたが、関東は鍋自体に味付けしたものが主流だったことが影響した。関東の営業担当者はスーパーに岐阜・多治見産の土鍋を景品として配布するなどして「水炊き」の良さをアピールして地道に普及を目指した。一方で、テレビCMでタレントの故・三波伸介らを起用して鍋料理での味ぽんの使い方を追求し、市民権を得ていった。

   水炊きが普及しても問題は、鍋料理がほぼ冬場に限定されあることだ。春を迎えると味ぽんが大量に返品されるケースも相次いだ。

米国で生産され、今や30カ国程度で販売

   そこでミツカンは「夏でも売れないか」という点に知恵を絞った。消費者への調査で焼き肉に使うケースがあることを発見し、大根おろしと合わせた「おろし焼き肉」を1980年代に提案し、大ヒット。焼き魚や餃子に合うこともアピール。「サンマの塩焼き」など焼き魚向けに「ゆずぽん」など派生商品も発売し、これも消費者に受け入れられて、ついに「通年商品」の国民調味料へと出世した。この間、味をよりマイルドにするなどの改良も続ける一方で塩分を減らすなどし、消費者の健康志向にも合わせるといった努力を重ねた。

   焼き魚などの日本料理の海外進出に伴って味ぽんも世界に雄飛。米国工場では生産もされ、今や30カ国程度で販売されている。今後も消費者の味覚に変化に合わせて成分を調整し、次の半世紀でも生き残り、さらに飛躍を目指す。

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中