2024年 4月 30日 (火)

日本興亜の社長辞任人事 かたくなに「引責否定」の裏事情

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   損害保険金の不払い問題で揺れる大手損保の経営陣の進退でのあがきがひどくなってきた。自動車保険や医療保険での不払いが相次いで発覚した日本興亜損害保険では2007年1月12日、松沢建社長が07年4月1日付で自身が代表権のない会長に退き、兵頭誠副社長が新社長に昇格する人事を発表した際、松沢社長はかたくなに引責辞任を否定した。

   不払い問題では損害保険ジャパン三井住友海上火災保険で経営陣が最終的に引責辞任しており、これらと異なる日本興亜の姿勢が際だつ。背景には同社の後任人事を巡るお家の事情と、他の大手損保の経営陣が軒並み引責辞任に追い込まれる「ドミノ倒し」を恐れる業界の思惑が見え隠れする。

否定否定は「後任の兵頭副社長を守るため」?

   「社長就任丸6年となり、大きな区切り」

   社長交代の会見で松沢社長はかすれるような小声で説明し、引責辞任との見方を繰り返し否定した。「豪放らい落な性格で、業界でも一目置かれる存在」(他の大手生保)と評された姿は見る影もない。記者団に詰め寄られて、会長に就いた後に金融庁の処分などがあれば身を引く考えを述べるのが精一杯。日本興亜への行政処分はまだ出ていないことから、社内からは「不払いで処分を受けたわけでもないのに、ここまで結びつけられて批判されるとは思わなかった」と、ぼやきが漏れる。

   松沢社長は一連の不払い問題で、保険会社の本分を果たせなかったことを強く悔い、「自ら経営責任に言及した数少ない経営トップ」だった。その松沢社長が引責辞任否定にこだわるのは、「後任の兵頭副社長を守るため」とささやかれる。同社内では他の後継者が見当たらないとされているのだ。

   だが、兵頭副社長は一昨年から代表権を持っており、過去5年間の不払い問題の経営責任がないとは言えない。松沢社長が会見で不払い問題について「最大の責任は私にある」と強調したのは、金融庁の処分が出た時点で会長職を退くことで一件落着としたいとの思惑が見える。

最大手の東京海上は事態に困惑

   損保の不払い問題での経営陣の進退では、損害保険ジャパンの平野浩志社長(当時)が会長に就く人事をいったんは発表しながら、撤回に追い込まれている。三井住友海上火災保険も金融庁の処分前に井口武雄会長と植村裕之社長の最高顧問就任を発表したが、結局は辞退に追い込まれた。ともに、引責辞任の形となったのだ。これは金融庁が損保各社の対応に不満を示したからだとの見方が強い。

   この一連の事態に困惑しているのが、最大手の東京海上日動火災の石原邦夫社長だ。今年で任期切れを迎える石原社長も引責辞任でなく、勇退を表明しようとしていた。医療保険などの「第3分野」の保険商品の不払い問題では、「(社内で)報告件数を少なめにして、石原社長を守ろうとしたのではないか」と見る向きは業界内で多い。いずれにしても、石原社長の勇退の意志は強いようだ。兼務しているNHK経営委員長の退任も当局に水面下で打診しているし、今年に入って、この動きを勘違いした関係当局の幹部が経営委員長退任を記者に漏らし、ちょっとした騒ぎになった。だが、「(引退で)日本興亜が先行したものの、(引責否定に対する)世論の反発の大きさにタイミングを見失った」とささやかれている。

   一連の損保首脳の引責辞任を否定する姿勢には、顧客を軽視してきたという反省のかけらも見えないと言えそうだ。

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